安心、それが最大の敵だ
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幕末群像~開明派の苦闘、江川太郎左衛門、ジョン万次郎、大鳥圭介~
本年は明治維新から150年。日本を震撼させたペリー率いるアメリカ東インド艦隊は、再来訪を予告して引上げたが、再びその威圧的姿を現したのは、幕府の予想より早く嘉永7年(1854)正月のことであった。ここに激動の幕末が幕を開ける。安政と年号が改まるのはこの年11月である。対応に苦慮した幕府首脳は、韮山代官・江川太郎左衛門英龍(ひでたつ)にアメリカ側と交渉して侵入を阻止するように命じた。老中・阿部正弘を首班とする幕閣は開明派江川の才覚に期待して彼を勘定吟味役格に任じ、対米交渉に参画させた。江川はひそかに「切り札」を用意していた。
2018/10/22
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敗戦国日本を襲った大地震・福井地震から70年~震度7(激震)が加わった日~
東京都千代田区平河町という都心にすっくと立つ日本都市センター会館。その8階に防災専門図書館がある。「防災・災害に関する唯一の専門図書館」をかかげる同図書館は、1956年に開設、蔵書約16万冊を誇る。災害関連の貴重な古文書も少なくない。(公社)全国市有物件災害共済会が運営し、年間約1700人の来館がある。
2018/10/15
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軍部に屈しなかった<気象学の父>岡田武松
不世出の気象学者岡田武松(おかだ たけまつ、1879~1956)は、その生涯のすべてを気象研究と気象事業の発展さらには後進の育成に燃焼させた。太平洋戦争の無残な現実が生々しく残る昭和24年(1949)、鈴木大拙、津田左右吉、志賀直哉らとともに文化勲章を受賞した。昭和26年(1951)には創設の第1回文化功労章顕彰にあたって、文化面で日本が世界に誇り得る研究者として、日本初のノーベル物理学賞受賞者の湯川秀樹らとともにその栄誉に輝いた。岡田の気象研究、気象観測事業等での先駆的な不屈の精神を讃えたのである。(以下、「岡田武松伝」(須田瀧雄)、「寸描 岡田武松博士」(馬渡巌)より適宜引用する)
2018/10/09
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「黎明の鐘」となれ!~<日本マラソンの父>金栗四三と恩師・嘉納治五郎~
2年後に東京オリンピック大会を控えて、戦前オリンピック大会初出場をはたした金栗四三(かなぐり しぞう、1891~1983)を語りたい。同時に師・嘉納治五郎との師弟愛にも触れたい。(金栗四三には、「かなくり しそう」との呼び方もある)。金栗を知らない読者も少なくないのではと考え、その功績を略記する。彼は近代日本を代表する名マラソン選手で、師範学校教師、熊本県初代教育委員長など公職を歴任した。箱根駅伝の実現に尽力し、日本に高地トレーニングを導入した。日本マラソン界の発展に大きく寄与するなど、日本の「マラソンの父」と称される(全国マラソン連盟会長、日本陸上競技連盟顧問でもあった)。
2018/10/01
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<戦前最長>野田醤油労働争議と<関東大震災時>の福田村虐殺事件
私は柏市に転居して以来、柏市はもとより隣接する野田市・我孫子市など(東葛飾地方)の歴史に関心を持ってきた。野田市関連では、戦前最長の218日にも及んだ野田醤油(現キッコーマン株式会社)の労使紛争と関東大震災時に発生した福田村虐殺事件(当時の香川県三豊郡、現観音寺市および三豊市の薬売り行商人15人のうち、妊婦や2歳、4歳、6歳の幼児をふくむ9人が斬殺された事件。妊婦の胎児を含め10人とする見方もある)に強くひかれるものがあった。2つの事件は、地元野田市ではタブー視するか「黙して語らない」傾向にあった。
2018/09/25
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避難指示を受け取る側に立った情報提供のあり方
毎年のように日本列島を襲う水害・土石流・地震などの災害時における避難勧告や避難指示のあり方がクローズアップされている。災害時に、地元自治体などが発する勧告・指示が地域住民に適切に(タイムリーに)伝わっているのか、疑問視する声も聴く。同時に、勧告・指示を受けた地元住民が避難しようとしない「勧告無視・避難拒否」も重大な社会問題になっている。
2018/09/18
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豊饒の湖水~琵琶湖畔の歴史と芸術に魅せられて~
7年ほど前のことである。私は琵琶湖総合開発をテーマにしたノンフィクションの月刊誌連載にそなえて、同湖畔を時間の許す限り跋渉(ばっしょう)した。この時、日本最大の湖・琵琶湖が河川法上は「一級河川」であることを知った。東西南北の湖畔を訪ね、光り輝く湖面の向うになびくたおやかな山々を見つめるたびに、私は感動に包まれた。「水と光の織りなす交響詩」の感銘を深くすることがたびたびであった。私は琵琶湖を舞台にした歴史書や文学書はもとより、琵琶湖の生態系や水質などを主題にした図書や学術論文にも目を通した。資料を精読し、かつ名所旧跡を歩きまわり、湖畔近くに立つ神社仏閣にたたずむうちに、私は琵琶湖の尽きない魅力に取りつかれて行った。
2018/09/10
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大災害、なぜ逃げないのか
「やはり、そうか」。朝日新聞(2018年8月27日付)の記事を読んで、失望の念を深くした。記事の大見出しは言う。「大雨の特別警報で避難指示、実際に避難 住民の3%弱」。30%ではない。わずかに3%!である。水害が迫っていても、「あえて避難しない」のか、それとも「とても避難できない」のか。
2018/09/03
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詩人の魂を求めて~俳人・加藤楸邨と詩人・萩原朔太郎の「蕪村論」~
加藤楸邨(しゅうそん、1905~93、本名・健雄)は、近現代の日本俳句界を代表する俳人のひとりである。その作風は中村草田男や石田波郷らとともに「人間探求派」と呼ばれる。私は、楸邨の自然諷詠的な表現を排除し厳格に人生を探求する作風に強く魅かれるものがあり、楸邨について以下自己流に語ってみたい。粕壁(現埼玉県春日部市)の教師時代の作品を中心とする。
2018/08/27
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講道館柔道の祖・嘉納治五郎・再説~その国際感覚と徹底した平和主義~
嘉納治五郎(1860~1938)は、講道館柔道の創始者であり、教育者(学習院教頭をはじめ、第五高等中学(現熊本大学)・第一高等学校(現東京大学)・高等師範学校(東京教育大学を経て現筑波大学)の校長を歴任した。同時に文部省高級官僚、日本初代(東洋で初の)国際オリンピック委員会(IOC)委員を務め、幻の東京オリンピックを招致。さらに大日本体育協会会長、貴族院議員、哲学者、能書家…。
2018/08/20
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キリスト教指導者内村鑑三~その苦難と信仰の道~
“I for Japan,Japan for the World,The World for Christ,And All for God. ”よく知られた内村鑑三の墓碑銘である。内村は「2つのJを愛する」とも言った。Japan とJesus(日本とキリスト)である。
2018/08/13
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近代横浜築港の<暗い>夜明け~英蘭技師の暗闘、政府間対立、防波堤崩壊~
私は横浜国立大学の非常勤講師として横浜市に出向く際、かねてから関心のあった明治初期の横浜築港の経緯を調べてみた。横浜市立図書館、横浜開港資料館などに出向き資料収集に当たった。横浜築港に関心を持った最大の理由は、近代日本「港湾の父」廣井勇(東京帝大名誉教授)が名著「日本築港史」の中で初期横浜築港のあり方を外国人お雇技師に振り回された「失敗例」として手厳しく批判していることにあった。以下、「日本築港史」や横浜市立大学教授寺谷武明氏の論文「横浜築港の黎明」などを参考にして、120年ほど前の無残な「失敗」の要因を検証してみる。
2018/08/06
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平成16年7月の新潟豪雨とその教訓
14年前の平成16年(2004)夏、新潟県のほぼ全域を襲った豪雨と大水害の被害は、多くの問題点を今日の水害対策に提起している。土木学会「報告書」が指摘するところによれば、4つの問題点が浮き彫りにされた。
2018/07/30
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再説:幕末の幕府を支えた小栗上野介忠順
名門幕臣の小栗忠順(ただまさ、1827~1868)は、万延元年(1860)幕府遣米使節首脳として太平洋を渡り、幕府要人として初めてアメリカのブキャナン大統領に謁見して通商条約批准書を交換した。その後同国政府高官らと会談し、さらには大西洋・インド洋を経て世界周航を果たした。このことこそ、小栗に欧米文明の優位性に目を開かせ、外国奉行・勘定奉行・軍艦奉行などの要職を歴任させ、危機的状況の幕府の行財政改革、軍制改革、殖産興業育成への決意を促すものとなった。この連載で1度小栗には触れているが、再度別の功績を説明したい。
2018/07/23
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公共事業は国民の血税である~無駄遣いや談合はなくならないのか~
「官僚たちよ、気高い気骨を忘れていないか!」。近年相次ぐ安倍内閣やその周辺、さらには高級官僚による国民を愚弄するような暴挙の数々(いちいち挙げたら枚挙にいとまがない)。その腐敗した現実を知るにつれ上記のような怒りがこみ上げる。なぜ、公務員が違法な権力行使をするのか。国会で虚偽答弁を繰り返し心まで汚すのか。女性記者にセクハラ発言をしても詫びないのか。官界にはもう背筋を伸ばした「サムライ」はいないのか。権力・政界・業者からの忍び寄る黒い手を決然と断り、組織内の腐敗をいち早く断ち切る努力をすることが、選ばれた人(エリート)の与えられた使命ではないのか。内部告発の時代である。「組織と魚は頭から腐る」とは言い古されたことだ。将校・士官が下士官・兵と同レベル(または下のレベル)の倫理感では軍隊の規律は守れない。率先垂範すべき人物がこれでは戦いにはとても勝てない。
2018/07/17
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幕末・維新の偉才・勝海舟を点描する
明治維新から150年である。幕末・維新の激動に思いをはせる時、幕府側の最重要人物の一人として幕臣・勝海舟(1823~99)の存在を無視することはとうていできない。あるいは最後の将軍・徳川慶喜よりも重要である、といえる。
2018/07/09
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<戦前秘話>横浜正金銀行ロンドン支店長・加納久朗~極秘の太平洋戦争回避工作~
昭和12年(1937)7月7日に勃発した日華事変は日中戦争の導火線となった。同年12月には南京、翌13年には広東さらには武漢の占領に戦線が拡大し泥沼化した。国内では軍備充実のため挙国一致の体制が叫ばれ、国家総動員法が公布された。大蔵省(現財務省)、日銀、横浜正金銀行の財政金融3者は緊密な連携を樹立して非常事態に対処することを余儀なくされた。日英関係の亀裂は50歳の横浜正金銀行ロンドン支店長・加納久朗(ひさあきら、子爵)にも重くのしかかった(リベラリスト加納はイギリスをこよなく愛した)。
2018/07/02
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理工系学部の教養・倫理教育と偉才・内務技師宮本武之輔
数年前のことである。ある国立高等工業専門学校(高専)の夏休み読書の推薦図書一覧を見せてもらって驚いた。そこには古典的名作(ジャンルを問わない)や科学者、工学者の伝記、評論集などがまったく紹介されていない。物理学者・文学者・寺田寅彦随筆集や詩人・宮沢賢治作品集などはもう古いのだろうか。古典文学や歴史書の名著などは理工科系の教育には無意味なのだろうか。この「新発見」を、知り合いの著名な工学者(大学名誉教授)に伝えてみた。
2018/06/25
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近代日本サッカーの父・傑出した知識人、坪井玄道~その人と思想~
今や、サッカーは国民的スポーツの王座に座った感がある。サッカーは略称または俗称で、正式名称はアソシエーションフットボールである。近代日本に初めてサッカーを紹介し、直接指導にあたり発展の端緒を開いた教育者について語りたい。日本サッカー界の先駆者、坪井玄道(げんどう、1852~1922)である。
2018/06/18
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江戸後期の天才画家、渡辺崋山礼讃~永訣かくのごとくに候~
田原(たはら)藩(1万2000石、現・愛知県田原市)は江戸期の渥美半島唯一の小藩である。渡辺崋山(かざん、1793~1841)は、田原藩家老である以上に、江戸後期において幅広い国際的視野をもった稀有(けう)な傑出した政治思想家の一人であった。同時に日本美術史に確固たる地位を占める当代一流の画家でもあった。
2018/06/11
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戦前の傑出したジャーナリスト・杉村楚人冠とその多彩な実績
私は千葉県柏市に移住して以降、戦前の「手賀沼文化人」に注目し調査を続けた。志賀直哉、武者小路実篤、柳宗悦、バーナード・リーチら「白樺派」系の作家・文化人や講道館創始者・教育者嘉納治五郎ら知識人に魅かれたが、ジャーナリズムに生きる者として、朝日新聞記者・杉村楚人冠(そじんかん、1872~1945)の多才さ・先見性にも教えられることが多かった。楚人冠の朝日新聞入社後の足跡を追ってみよう。
2018/06/04
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<安政の大地震展>にみる日本災害列島の今昔
昨年(2017年)、東京・文京区の東洋文庫(ミュージアム)で開催された「ナマズが暴れた!? 安政の大地震展」を興味深く拝見し、同時に古文書や史料類のみごとな同文庫の収集力に感心させられた。時宜を得た好企画であった。その際、会場で入手した「安政の大地震展 大災害の過去・現在・未来」(冊子)には教えられることが多かった。わずか28ページの同冊子ながら、古来より日本列島を襲った自然災害(主に大地震)と、それに対する支配者や庶民の叫び・恐れ・祟(たた)り・祈り・救いが浮き彫りにされている。以下、主要な文献などを紹介するが、冊子中のコメントもユニーク(時にユーモラス)であり、そのまま拝借させていただく(以下、同冊子から原文のママ引用する)。
2018/05/28
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江戸後期の思想家たちと蘭方医・関寛斎
江戸後期の知識人たちが、当時の「内憂外患」の危機意識をどう表現したのか、科学に対する思想がどう芽生えたのか。「外患」で最初の衝撃は文化5年(1808)のフェートン号事件であった。オランダと交戦中だったイギリスの軍艦が突如、長崎湾に侵入して出島のオランダ館を襲った。これに対して幕府は対処するすべがなかった。200年来の鎖国政策が外からの強い力によって激しく揺り動かされた。
2018/05/21
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東日本大震災から7年~地元建設業者の奮闘、遠野市の被災地後方支援~
2011年の東日本大震災から7年を迎えた。大惨事を目の前にして、被災者の救出・支援をはじめ被災地の復旧・復興に、「生き地獄」の最前線に立って奮闘したのが地元建設業界である。彼らの危険を顧みない現場での作業ぶりは、地元自治体や自衛隊・警察・消防などの動きの陰に隠れがちであった。メディアに取り上げられたことも決して多くはなかった。だが、彼らの闘いがなければ今日の被災地の復旧・復興の姿はありえない。7年間、壊滅的被害を受けた現場で闘った地元建設業者の「生の声」をあらためて紹介したい。「あの時」を忘れないためである。また岩手県遠野市長・本田敏秋氏の「講演」は災害時の後方支援の在り方に多大な示唆を与えている。発言の一部を紹介し、関係機関などの再考を促したい。
2018/05/14
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日本オリンピックの父・講道館創設者、嘉納治五郎~その大いなる精神と実践~
2020年東京オリンピック・パラリンピックを2年後に控えて、「日本オリンピックの父」であり講道館創設者として名高い嘉納治五郎(1860~1938)の高邁な精神と実践をあらためて考えてみたい。
2018/05/07