安心、それが最大の敵だ
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江戸後期の農村改革先駆者、二宮尊徳と大原幽学~その栄光と苦悩~
私は<土の思想家・実践家>尊徳の70年間の人生と経験主義的思想に強く打たれるものがあり、「尊徳全集」や関連図書・論文などを読破し続け、同時にゆかりの地を訪ね歩いた。「尊徳の本がないのではない。ありすぎる位なのだが、その道に入らないと、読む気になれない本が多い」。作家・武者小路実篤は著書「二宮尊徳」の中で指摘する。確かに江戸後期の農政家・二宮尊徳(金次郎、1787 ~1856)を論じた図書や論文は、海外のものまで含めて枚挙にいとまがない。
2017/11/06
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不屈の言論人、石橋湛山と桐生悠々を讃える
民主主義国家の原点は言論の自由である。イギリスの詩人ジョン・ミルトンが400年も前に「アレオパジチカ」で訴えたように。戦前、政府の過酷な言論統制により、言論の自由が圧殺されようとした。その時、敢然として軍部の横暴を批判し、言論の自由を貫こうとした新聞社やジャーナリストは決して多くはない(新聞が熱狂的な国民の戦争熱をあおり発行部数を増やしたことも歴史的事実である)。
2017/10/30
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画期的!ICT活用の操作支援・不具合対応システム~水資源機構が琵琶湖で初運用~
「必要は発明の母である」の思いを新たにする最新技術開発の見事な実例を紹介する。このシステムは今年(2017)4月から運用されているが、独立行政法人・水資源機構のみならず、全国でもほとんど導入例のない先駆的ものと評価が高い。システムのひとつは、機械設備の操作支援システムである。AR(拡張現実)技術を用い、画像や音声を用いて操作手順をナビゲーションするとともに、操作の記録も同時に行うことができる。
2017/10/23
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将の将たる器、日本住宅公団初代総裁・加納久朗
公団総裁時代の加納久朗。英国紳士の服装を愛した(提供:高崎氏)敗戦国日本の深刻な住宅事情私が住んでいる千葉県柏市をはじめ松戸市など、近隣自治体には日本を代表するような大規模団地がそろっている。
2017/10/16
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技術者の倫理~天才的土木技師・広井勇と恩師W・ホィーラー~
知識人としての技術者、なかでも土木技術者のあるべき倫理観(モラルバックボーン)を改めて問う。
2017/10/10
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大洪水、十一面観音、白髭水
日本古来の大洪水と民間伝承(信仰)を考える。一昨年(2015)9月10日12時50分、茨城県常総市三坂町の鬼怒川左岸(東側)堤防が決壊した。堤防を切った濁流は、低地を求めながら常総市を中心に1万戸以上が床上・床下浸水させ、田畑は泥の海に没した。多数の住民が孤立し救いを求めた。
2017/10/02
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幕末・維新とメディア事情それに小栗忠順
今日、インターネットやSNSの普及により既存の新聞・テレビ・雑誌などマス・メディアは激変を余儀なくされている。そこで近代メディアの黎明期ともいえる幕末から明治維新の新聞事情を考えてみたい。それは文明開化のうねりとも連動する。
2017/09/25
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東北の復興現場を訪ねて~その2、山元町、岩沼市
前回に続き、東北の復興現場の報告である。宮城県南端の山元町(人口1万2462人)は大津波により死者700人、行方不明者18人を出した。県仙台市以南では名取市に次ぐ犠牲者数である。同町は復興を機に、「コンパクトで持続可能なまちづくり」を目指し、分散していた集落を3つの新市街地に集約するまちづくりを進めていた。昨年10月、被災者の集団移転先となる2つの新市街地(つばめの杜地区、新坂元駅周辺地区)が完成して「まちびらき」の式典が行われた。その後、遺跡の出土で完成が遅れていた宮城病院周辺地区も住宅の引き渡しが行われて、すべての移転が完了した。同町も人口減となっており、商業施設などを誘致して人口減に歯止めをかけたい考えだ。
2017/09/19
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東北の復興現場を訪ねて~その1、女川町、石巻市
東日本大震災から6年。大津波に襲われた宮城県内の沿岸部自治体の復旧・復興事業は進んでいるだろうか。「箱もの」の造成・再建を急ぐあまり、将来の産業を導く社会基盤整備や投資を等閑視してはいないだろうか。被災者や肉親を失った方々の心のケアは進められているだろうか。
2017/09/11
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現代版・ダムをめぐる考察~ア・ラ・カルト~
全国にあるダム約3000カ所(堤体の高さ15m以上)のうち、建設から半世紀近く経って再開発が必要なものや洪水・水需要対策から改修・かさ上げなどが求められているものが少なくない、と聞く。だがダム建設ブームはすでに去り、新規建設が大幅に減っていることから、高度な技術を必要とするダム技術者が国や都道府県を問わず減ってきているのが実情のようである。都道府県が建設管理している治水・利水用ダムは少なくないが、都道府県や市町村の中にはダムや河川の専門技術者をかかえていないところが結構多いのである(鬼怒川決壊で市域の大半が水没した常総市も河川技術職がいなかった)。
2017/09/04
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大成建設技術センターを訪ねて~大災害に備える先端技術の開発~
「地図に残る仕事」。大成建設が掲げる「理念」である。大成建設技術センターを初めて訪ねた。同センターは横浜市郊外の戸塚区にある。防災、環境技術、社会基盤(インフラ)などの分野で日本発の最先端イノベーション(技術革新)を追究する研究拠点となっている。研究者数は約200人。
2017/08/28
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国土地理院の果敢な挑戦~研究成果と被災地への積極対応~
国土地理院(茨城県つくば市)のモットーは「測る、描く、守る」である。科学誌「Newton」(ニュートン、本年6月号)の見出し<「重力値」を40年ぶりに更新。髪の毛1本分、体重が減少!?>に「何?」と引きつけられ記事に目を走らせた。同時に朝日新聞の関連記事も読んでみた。見出し<あなたの体重が髪の毛の重さほど変わります>である。
2017/08/21
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鬼怒川決壊からまる2年、<逃げ遅れゼロ>を達成せよ!
2015年9月、関東・東北豪雨で鬼怒川が決壊し、茨城県常総市は市域の3分の1が濁流に没した。その間、被災者から必死の救助要請が消防署に殺到。常総広域消防本部と茨城西南広域消防本部にかかった119番は決壊から3日間に2500件以上に達した。市民の逃げ遅れが続出し、ヘリやボートなどで計4258人が救出される異常事態となった。災害時における逃げ遅れ問題が大きくクローズアップされた。
2017/08/16
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ゲリラ豪雨に備える~国土交通省の最新鋭・MPレーダー雨量計
日本の各地で「ゲリラ豪雨」と恐れられる局地的大雨や線状降水帯による集中豪雨が多発している。これらの豪雨災害による人的被害、浸水被害、土砂災害、水難事故が毎年のようにニュースになって報じられている。こうした豪雨をいち早くかつ的確に観測・予測することは、水防や避難誘導などの防災・減災のため、つまりリスクマネジメント(危機管理活動)のために不可欠の必須条件である。
2017/08/07
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津波体験者の<生の声>を残す~東日本大震災の現場から~
東日本大震災の大惨事からから約3カ月後の2011年初夏、私は仙台湾に向かって開けた宮城県石巻市を一望できる日和山(ひよりやま)に登った。同山は旧北上川の西岸(右岸)にある。標高56.4mで、市内の中央部にある丘のような低山である。江戸時代に書かれた地誌によれば、山の名は石巻から商船が出航する前に、この山に登って天候を観察したことから付けられたという。元禄2年(1689)年5月10日には、俳聖松尾芭蕉が訪れ、同行の河合曽良が眺望を日記に記した。山上に二人の像が建てられている。
2017/07/31
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大津波襲来で明暗を分けたもの~東日本大震災の現場から~
津波に破壊された田老地区の防潮堤(提供:高崎氏)二重防潮堤は住民を救えなかった~田老地区~2011年の東日本大震災と大津波は、青森県から千葉県までの太平洋沿岸を中心に甚大な被害をもたらした。死者・行方不明者は2万人近くに上る。
2017/07/24
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首都直下地震に備える~木造住宅密集地域の不燃化を急げ~
政府の中央防災会議が2005年に公表した東京直下地震の被災規模は、震源を東京湾北部、マグニチュード7.3、冬の午後6時に地震発生と想定して次のようであった。建物の罹災は85万棟、死者は1万1000人(死因は主に建物倒壊で約3100人、火災で約6200人)、負傷者は21万人、がれきの発生量は9600万tであった。
2017/07/18
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自然災害と大学~鬼怒川決壊、筑波大学の全学挙げての支援~
自然災害や大事故などの非常時に被災地元の大学や研究機関はどう関わるべきだろうか。研究対象とするだけでいいはずはなく、被災地に身も心も飛び込む覚悟が必要だろう。具体的にどう動くか。その解を求めて、2015年9月鬼怒川決壊に見舞われた茨城県常総市への筑波大学の救援・支援活動や復興への協力体制を取り上げてみたい。濁流に襲われた同市は市役所や市街地を中心に市域のほぼ3分の1が水没するというかつてない惨劇に見舞われたのである。
2017/07/10
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物理学者湯川秀樹博士、卓越した<文明論者>
今回はリスク対策とは直接関係ない話題である。日本人初のノーベル賞受賞者である物理学者の故・湯川秀樹博士の人生哲学を考えてみたい。
2017/07/03
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海水淡水化で水飢饉を救う
父島での救援活動で使われた海水淡水化装置(提供:水資源機構)大渇水の小笠原村・父島を救援水がなければ人は生きていけない。とりわけ自然災害時に求められるものはライフラインの確保、なかでも水の確保である。同時に、そのための英知である。
2017/06/26
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東京直下地震の備え、難問山積
日本列島は阪神・淡路大震災、東日本大震災、熊本地震と大規模地震に相次いで襲われている。大水害も毎年のように発生している。まことに日本は「災害列島」である。近い将来の発生が確実視されている東京直下地震へ備えはどうであろうか。上記の大地震で首都東京は幸い大きな被害を受けず、一応、救援・復旧・復興を支える首都の国力が存在した。しかし、もし東京が大震災に襲われた場合、日本には首都を救援・復旧・復興を支える余力があるとはとても考えにくい。
2017/06/19
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陸軍軍人・安江仙弘の人道主義、ユダヤ人救出
日本旧陸軍の軍人安江仙弘(のりひろ、1888~1950)をご存じだろうか。安江は松本藩士・台湾総督府官吏の安江仙政(のりまさ)の長男として秋田市の平田篤胤(江戸後期の国学者)の生家で生れた。1909年、陸軍士官学校(21期、同期に石原莞爾、樋口季一郎らがいる)を卒業した。最終階級は陸軍大佐であった。私が彼の存在を知ったのは、「歴史探偵 昭和史をゆく」(半藤一利氏)の「『コロネル・エヌ・ヤスエ』の名」の章を一読してからである。「戦前の軍人にもこんなに傑出した国際人がいたのか!」。私は彼の人格と識見に強く打たれた。同書から適宜引用して、軍人として異例ともいえる彼の62年間の生涯を考えてみたい。そこにはリスクを回避する彼の英断と人道主義が見えるはずである。
2017/06/12
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排水ポンプ車・大量投入、仙台空港のいち早い脱出劇
6年前に東日本を襲った大震災と津波による死者・行方不明者は2万人近くにのぼる。岩手県・宮城県・福島県の大津波による被害は甚大であった。発生後、現地取材を続けるにつれて、東日本大震災がもたらした大打撃は、激震よりも大津波による被害がはるかに大きかったことを痛感した。仙台平野では海岸線から5km以上の内陸まで津波が繰り返し押し寄せた。宮城・岩手両県の内湾部では、既往の最大外力を計画高とした高さ10m以上の防波堤・防潮堤をはるかに上回る津波が襲来し、沿岸部の港や市町村を飲み込み壊滅的な被害をもたらし多数の<帰らぬ人たち>を生んだ。
2017/06/05
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「緑のダム」の歴史的考察~その3:森林の水源涵養力は迷信?~
森林の水源地涵養機能(緑のダム)に関する専門家や研究会などの見解を確認しておきたい。「緑のダム」を学術的に研究してきた学者や研究者は、自己の研究対象を「緑のダム」とのあいまいで情緒的な言葉で表現することを好まなかった。林学界の長老・四手井綱英(しでい・つなひで)氏の論は明快である。(以下肩書は図書・論文発表時)。氏は森林生態学者で、京都大学名誉教授。「里山」の提唱者で知られる。「森の人 四手井綱英の九十年」(森まゆみ)から引用する。
2017/05/29
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「緑のダム」の歴史的考察~その2:明治期から今日まで~
日本最初の近代的河川法は1896年(明治29年)4月に制定された。近代化を急ぐ明治政府はインフラ整備の一環として洪水防御を重視した。法律は河川管理者を原則として都道府県とし、必要に応じて国が大規模事業を実施する体制を定めている。相次ぐ大水害の防御に重点をおいたもので、以後国内の河川改修は治水優先をうたった河川法のもとで実施された。翌年制定された森林法、砂防法と合わせ「治水三法」と呼ばれる。
2017/05/22