<戦前最長>野田醤油労働争議と<関東大震災時>の福田村虐殺事件
千葉県北西部の近代事件~その裏に差別問題が…
高崎 哲郎
1948年、栃木県生まれ、NHK政治記者などを経て帝京大学教授(マスコミ論、時事英語)となる。この間、自然災害(水害・土石流・津波など)のノンフィクションや人物評伝等を刊行、著作数は30冊にのぼる。うち3冊が英訳された。東工大、東北大などの非常勤講師を務め、明治期以降の優れた土木技師の人生哲学を講義し、各地で講演を行う。現在は著述に専念。
2018/09/25
安心、それが最大の敵だ
高崎 哲郎
1948年、栃木県生まれ、NHK政治記者などを経て帝京大学教授(マスコミ論、時事英語)となる。この間、自然災害(水害・土石流・津波など)のノンフィクションや人物評伝等を刊行、著作数は30冊にのぼる。うち3冊が英訳された。東工大、東北大などの非常勤講師を務め、明治期以降の優れた土木技師の人生哲学を講義し、各地で講演を行う。現在は著述に専念。
私は柏市に転居して以来、柏市はもとより隣接する野田市・我孫子市など(東葛飾地方)の歴史に関心を持ってきた。野田市関連では、戦前最長の218日にも及んだ野田醤油(現キッコーマン株式会社)の労使紛争と関東大震災時に発生した福田村虐殺事件(当時の香川県三豊郡、現観音寺市および三豊市の薬売り行商人15人のうち、妊婦や2歳、4歳、6歳の幼児をふくむ9人が斬殺された事件。妊婦の胎児を含め10人とする見方もある)に強くひかれるものがあった。2つの事件は、地元野田市ではタブー視するか「黙して語らない」傾向にあった。
まず、日本の醸造界を代表し世界に飛躍するキッコーマン(本社・野田市)が、古い因習を断ち切るためにも通過せざるを得なかった「労働争議」を考えてみたい。長期ストの前哨戦から話を始める。
大正8年(1919)1月、野田町(当時)に本社・工場を構える野田醤油の労働者1300人が給与と賞与の増額を求めてストライキに入り、賃金増額の要求が拒否されると辞職戦術をとって多数の労働者が転職した。醤油醸造部門の労働者は、団結とストライキによって賃金の増額や待遇の改善を要求するとの方針を背景に、大正10年(1921)1月野田醤油労働組合を結成した。同年12月には日本労働総同盟支部として全国的な労働組織に所属することになった。
これに対して、野田醤油会社は大正12年(1923)工場経営の方針転換に着手した。だが結果的には、従来よりも労働過重になった。工場内の労働者に不満が鬱積し、労働者側は作業量の見直しや請負制の復活などを要求した。会社側がこれを拒否したため、同年3月16日、組合員2600人がストライキに突入した(第1次争議)。組合幹部が解雇されたことから、組合側は児童たちの同盟休校との「奇策」ともいえる戦術で対抗し、世間の注目を集めた。町には争議団に同情する気運も高まり、泥沼化した争議を解決するため、県知事が調停に入った。4月には労使双方から知事一任を取り付け、調停案による決着がはかられた。作業量の見直しや解雇者の再採用などを文書で確認し、28日に及ぶ争議は終わった。組合側の勝利であった。
昭和2年(1927)9月、野田醤油会社の労働者1358人は、待遇改善を再度求めて立ちあがった(第2次争議)。会社側が要求を拒否したばかりか組合の切崩し策をはかったため、組合はストに突入した。会社側の対応はこれまでになく強硬で右翼団体や暴力集団を動員して脅迫し、次々に組合幹部らを解雇した。紛争は年を越した。翌年に入っても膠着状態が続いた。争議の長期化に焦った一部組合員が暴行行為に走り、再び小学生の同盟休校戦術を取るなど、争議は険悪な様相を呈した。町民は組合の戦術に批判的となった。この間、活発な動きを見せたのが争議団婦人部であった。組合員の妻である彼女らは、東京の日本労働総同盟本部に出向いて争議の早期解決の仲介を依頼するとともに、内務省にまで足を運んで同趣旨の集団陳情を試みた。
ここに驚天動地の大事件が突発した。同年3月組合幹部(副委員長)が東京駅で葉山の御用邸に出発しようとする昭和天皇へ直訴を企てた。この「不敬事件」に衝撃を受けた会社と組合双方とも収拾に動き出し、双方の調停役を務める協調会が斡旋し千葉県知事が立ちあって労使双方による交渉がもたれた。ついに4月30 日争議団は解散を決議した。争議団解団式の後、野田醤油本社2階貴賓室で会社と組合との正式調印が行われた。労働者側は復職者300人、解雇手当総額45万円の調停案を受け入れた。戦前最長という日本の労働争議史上例を見ない大争議にようやく終止符が打たれた。だが復職者は会社側の任意による再雇用であったため、組合側に大きな動揺を与えることになった。
長期争議により失職した組合員とその家族が町を去る哀れな姿が続いた。「灰をまいたような白茶けた野田町の場末の街道を一台の荷車が白日のもとに黙々として進んでゆくのを見た。夫がその梶棒を握り、妻は五つばかりの男の子の手をとりながら車の後押しをしている。車上に積まれた僅かばかりの家財のうえには、何も知らない無邪気な子供が、もとらぬ(おぼつかないの意)言葉で何かしきりに後押しの母に語りかけている。いうまでもなく野田の失業者が家財をまとめて、移動するところであった」(「野田血戦記」)。
野田醤油はその後労使協調路線に大きく舵を切りかえ、「産業魂」を経営の根幹に据えて、世界の「キッコーマン」に飛躍して行くのである。
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