加納久朗(ロンドン支店長時代、提供:高崎氏)

非常事態でのロンドン支店長

昭和12年(1937)7月7日に勃発した日華事変は日中戦争の導火線となった。同年12月には南京、翌13年には広東さらには武漢の占領に戦線が拡大し泥沼化した。国内では軍備充実のため挙国一致の体制が叫ばれ、国家総動員法が公布された。大蔵省(現財務省)、日銀、横浜正金銀行の財政金融3者は緊密な連携を樹立して非常事態に対処することを余儀なくされた。日英関係の亀裂は50歳の横浜正金銀行ロンドン支店長・加納久朗(ひさあきら、子爵)にも重くのしかかった(リベラリスト加納はイギリスをこよなく愛した)。

式部長官・子爵・松平慶民(よしたみ)は、昭和12年9月3日付の加納宛書簡で「此度の(日華)事変に付ては適当なる言葉を見出さざるに付何も申さず、只々(ただただ)あきれる位のものに候」と書き、9月21日付の書簡では、「御附武官などの言より察するにインテリ若手軍人に於ても日英提携は双方の利益なり、然るに英国側の方、より多き利益を得る故、日本が相当我慢をするも英国側より折れ来るならむ、財政の方はドウニカ成るだろう、と申す考え方の様に有之候(これありそうろう)」と伝えている。

同年5月、昭和天皇の弟宮・秩父宮雍仁(やすひと)親王が天皇の名代として、イギリス国王ジョージ6世の戴冠式出席のためロンドンをご訪問された。ロンドンでの秩父宮接遇役を務めたのが横浜正金銀行ロンドン支店長加納久朗だった。

人脈活用とメディア対応

イギリス国内で日本製品に対するボイコット運動が起こった。クリスチャンである加納は一計を案じアングリカンチャーチ(英国国教会)総本山のカンタベリー大僧正に宛て「日本品ボイコットに対して慎重なる配慮を祈念する」との親書を奉呈している。同時に日本の経済的立場をロンドンの政財界で昼夜を惜しんで説明して回った。イギリス側が極東情勢を冷静に理解するよう求めることも忘れなかった。「大阪朝日新聞」の昭和12年(1937)10月20日付の記事は「英の邦品抑制が我対支進出に拍車、英国王立国際問題研究会で加納正金支店長日本の立場を闡明(せんめい)」との見出しを掲げ、加納が以下のように語ったと報じている。

「重工業に転換せんとする日本にとり市場ならびに原料獲得のため北支が必要なること、および共産主義を防止せんとすれば日本は国防線を北支まで拡張せざるを得ぬが、これは恰(あたか)もイギリスがその国防線をラインにありとしているのと同様である。これらは日本の膨張力の発露の表現であって日本はこれを平和手段によって達成せんとしたが支那の抗日政策で日本の意図は遮(さえぎ)られた。さらに日本の支那進出に拍車をかけたものはイギリスで、日本商品が海外にのびんとすると、イギリスは常にその抑制策を講じ、日本を支那に向けしめた。この事態は好むと否とに拘らず認めるべきであろう」。

イギリスにとっての利益線がライン川にあるのと同様に、日本にとっての利益線は華北にあるのだとして、防共の観点から日中対立を説明している。それ以前の数年間、帝国内での保護貿易に傾斜したイギリスとの間で、日本は貿易摩擦を経験してきたが、そうした過去をイギリス側に思い出させようとしている。久朗は単なる対英宥和派ではなかった。彼の対英説得(メディア対応も含む)に感激した重要人物の中に首相・近衛文麿がいた。近衛は久朗に電報を打ち「邦家の為ご尽力感謝に堪えず今後もよろしくお願い申し上げる」と謝意を送った。

政府首脳部への極秘電

第一次近衛内閣の文部大臣・厚生大臣であった木戸幸一宛ての加納書簡に注目したい。久朗が遠くロンドンに暮らして軍部の横暴に危機感を募らせ日英関係の改善に心を砕いていたことが明確に伺えるからである。木戸と加納は頻繁(ひんぱん)に私信をやりとりしており<極秘電>も少なくない。英文でカモフラージュしたとみられる書簡もある。昭和13年(1938)4月12日付の私信に注目したい。

「木戸大兄、加納久朗(横浜正金銀行ロンドン支店支店長(支配人))
日支平和は、よき人生観と確たる哲学を有する大政治家のみ出来ることだ。軍人には出来ぬ。宜敷(よろしく)頼むぞ」。加納は国際決済銀行経済顧問ヤコブソン博士の「日中戦争観」をタイプに打って書簡と共に木戸に送っている。同文のタイプ印書は、近衛文麿・吉田茂・大久保利賢(横浜正金銀行頭取)にも送られた。

同年8月13日付の書簡は伝える。

「木戸大兄                       加納久朗
蘇満国境事件が拡大しなかったのは誠に幸いなことであった。御尽力を深謝する。
漢口攻略を以て是非一段落つけねばならぬ。軍人だって日本の実力が分かったことだろうと思うし、そう無茶をやって過去30年間に築き上げた日本の経済的地位を逆転させる様なことは望まないと信ずるから、漢口を以てstatesmanlikeな態度を以て戦を打切り、速かに建設的計画に入って貰い度い。近頃の日本は小技術者集合体だ。Wisdomのある大政治家乃至実業家の力が全くない。小智慧ばっかしでは国家を動かし、国際生活の仲間入りは出来ぬ。北支、中支の幣制だの、第三国利権通商の妨害だの見ては居られぬ。全て小智慧者のやることだ。
北支中支には実業界の大人物、例之(たとえば)、深井英五氏、児玉謙次氏、平生釟三郎氏、中根貞彦氏と云う様なはっきりした人生観を持った、そして斯界の権威者を出して貰いたい。そして大所高所から大ざっぱにずばりずばりと処理して貰いたい。門戸開放、機会均等と云うからには、約束通りそれを実行して支那に於ける真の共存共栄をやらねばいかぬ。大阪辺りの商人工業家中には、支那に於ける英国の商権発展を阻止することが日本の進出になる様に云う奴もあるが、それはほんとうの目先の議論で、大局そんなものではない。
宇垣外相と『クレギー』(Sir Robert Craigie)大使との日英交渉により、そばから日英間の案件を片付けることは緊要だ。英国と戦って日本の国運をもう一度賭すると云う様な出鱈目(でたらめ)な考えの無い限りは、絶対に日英協調で行くべきだ」。