スポーツにおけるルールは公正なのか(写真:写真AC)

スポーツにおけるルールは公正か

「スポーツはあらかじめ定められたルールの下に行われる公正で公平な闘いである」。この前提は真実であり、同時に欺瞞性も含まれている。

確かに、実際に競技が行われるその瞬間において、明確に定められたルールにもとづいて競技が行われる。そのルールはすべての競技者に、公平に適用される。当たり前の大原則である。しかし、そのルールの適用にはグレーゾーンが常に存在する。

サッカーワールドカップの日本代表がクロアチアと戦ったベスト8をかけた闘いにおいて、日本のプレーに笛が吹かれるシーンが多かったと記憶している。解説者の「今のプレーは継続させてもよかったのでは」という主旨の発言をたびたび聞かされた。このことの真偽はどこまでいってもグレーで、あくまでプレー中の審判の裁定は絶対であり「審判がルールブックだ」という有名な言葉もある。

人間が行う以上、さまざまな要因が判定に影響を及ぼす(写真:写真AC)

現場における審判の判定は、それが人間の行う判断である限り、どこまでいってもグレーゾーンが付きまとう。スタジアムの観衆の声に押され、時にはブーイングを受けながら判定を下すのだから、公平を心がけても一定の影響を受けるのが人情というものだろう。これは一般的にはホームタウンディシジョンと呼ばれる。

審判ごとに判断の特性も必ずある。厳しく反則を取る審判、比較的甘く判断する審判。野球のストライクゾーン判定なども同様であろう。だからプレーヤーは審判の特性を見極めてプレーに生かす。

しかし、これはあくまで人間の判断に委ねられる領域であり、このあいまいさの運不運で勝敗が決するのは、本来、公正ではないといえるだろう。