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今回は、今から59年前の1966(昭和41)年3月4日と5日に相次いで発生した航空機事故をとりあげる。いずれも気象が関与した事故である。

1966年3月4日、香港発東京経由バンクーバー行きのカナダ太平洋航空の旅客機が羽田空港で着陸に失敗して炎上し、乗客乗員計72人のうち、日本人5人を含む64人が死亡した。事故当時、羽田空港周辺は霧に包まれていた。多くの航空便が出発見合わせや、ダイバート(他空港への代替着陸)を余儀なくされる中、カナダ太平洋航空の旅客機は管制官の許可を得て着陸を試みたが、事故を起こしてしまった。

この事故の衝撃が収まらない中、翌日の3月5日には、サンフランシスコ発ホノルル、東京経由香港行きの英国海外航空の旅客機が、羽田空港を離陸した後、富士山付近に墜落し、日本人13人を含む乗客乗員計124人全員が死亡した。この旅客機は、富士山付近の上空で、乱気流に巻き込まれて空中分解したとみられている。

霧による航空機事故

交通に影響を与える厄介な気象現象のひとつに霧がある。霧は視界を妨げるので、交通にとっては障害となる。視界のきかない霧の中で運行・運航することは、目を閉じたまま乗り物を走らせるようなことになり危険である。筆者は、濃霧の中を、盛んに警笛を鳴らしながら疾走する列車に乗客として乗った経験がある。車内信号で安全確認はされているのであろうが、前方を見ていると、霧で数10メートル先も見えない中、突然、青色の信号機が眼前に現れてはあっと言う間に後ろに去って行く状況で、とても怖い思いがしたことを覚えている。

航空機については、霧による視界不良の影響がさらに大きい。特に着陸の場合に、安全かつ確実に、滑走路にランディングさせる必要がある。一旦空港を飛び立った航空機は、必ずどこかの空港に着陸しなければならないので、出発地の気象条件だけでなく、行き先や代替空港の気象条件を十分に考えながら飛行決心をする必要がある。目的地の空港が霧のため着陸できないとなると、出発地に引き返したり、行き先を変更したりすることを余儀なくされるから、経済的・社会的影響は小さくない。また、霧に覆われた滑走路への着陸を敢行した航空機は、視界を見失っても停止できないので、影響は極めて深刻である。世界を見渡せば、霧による視界不良に起因する航空機事故はたびたび発生している。表1に、霧が関与したとみられる主な航空機事故を掲げる。本稿の題材である1966年の事例を赤字で示した。

画像を拡大 表1. 霧が関与したとみられる主な航空機事故

霧は音もなく発生する不気味な現象だ。本連載ではこれまでに2度、霧が関与した事例をとりあげた。2020年12月掲載の「霧中の多重衝突事故」は内陸に発生した濃霧、2021年5月掲載の「紫雲丸事故」は海上に発生した濃霧であった。内陸の霧は秋に多い。これに対して、日本近海で発生するいわゆる「海霧」は春から夏にかけて多く、紫雲丸事故のあった瀬戸内海では4月から6月にかけて多い。しかし、1966年3月4日に羽田空港を包んだ霧は、これらのいずれにも該当しない。航空機事故につながったこの時の霧は、どのようなものであろうか。