ファクトチェックをめぐって二つの論が真っ向対立している(イメージ:写真AC)

情報統制に関する世界的な動向

これまで、情報環境がグローバル社会で大きく変化しようとしていることを伝えてきた。今回はまず、その根拠となる客観的事実を示していきたい。代表例は、世界的激震の震源でもある米国トランプ新大統領の発言と大統領令であろう。

トランプ氏は就任演説において、前バイデン政権の政策批判として「自由な表現を制限する連邦政府の数年にわたる不法で違憲な試み」「政府による全ての検閲を即時に停止する大統領令に署名し、自由な表現を米国に取り戻す」という主旨の発言を行った。

そしてその後に署名された大統領令は「SNS上の言論に政府が介入することを禁止。過去の検閲行為を特定し、是正する」というものであった。

ヘイト・差別の助長などを防ぐには一定の政府介入やむなしか、いかなる理由でも政府介入は認められないのか(イメージ:写真AC)

この動きを先取りして動いたメタ社は「第三者機関による投稿内容のファクトチェック制度を米国で廃止する」と発表。これに対しバイデン前大統領は本年1月10日に「ファクトチェックをせず、差別に関することを一切報じないのは米国的ではない」「真実を語ることは重要だ」と言ってメタ社の動きを「恥ずべきことだ」と批判した。

この二つは、これまでの拙稿でも言及してきたが、ものの見事に真っ向から対立する論旨となっている。

冷静に比較してもらいたいが、バイデン氏の論は、目的(ファクトチェック)のために政府が介入し情報統制を行うべきということであり、トランプ氏の論は、どんな理由であろうと(自分自身への批判であろうとも)政府が情報への介入・検閲を行うべきではないという真逆の論である。

筆者自身の考えはこれまでも述べてきたが、あくまで情報環境とは自由な空間であるべきとの考えは揺るがない。しかし、これに関してはさまざまな反論もあることは承知している。そこには、それなりに論理的な主張もある。

その論理構造を筆者の理解で簡単に述べると、デマの拡散による差別主義の助長やヘイトなどの攻撃的発信が危険性を帯びてしまうことを最優先の問題として、ポピュリズム的な危険性も高まるので、政府の一定の介入はやむを得ないというものだろう。確かに一理はある。

政府の介入は、政府が健全であるという前提があって初めて成立する(イメージ:写真AC)

しかし、そのようにして介入する政府が健全であるという民主的抑制装置が効かないと、むしろ危険性が高まってしまう。政府の介入は、政府が善良で賢人の集まりであって初めて成立し、そうでないと悪意ある情報統制、自己都合での異論封じ、自己にポジティブな情報の拡散という情報操作を抑制できない。

せっかく民主主義で三権分立などの概念がありながら、情報という第四の権力に対する向き合い方が、情報を生業とする立場からは、専制政治的志向に偏っていると思えてしまうのだ。そして何より、今回の米国大統領選挙で米国民は民主主義に則った選挙でトランプ氏を選択した現実は揺るがないのである。