おわりに

限られた資料に基づき、伊那谷豪雨の実態を垣間見た。当時、もし、気象衛星があったなら、この現象がどのように見えたであろうか。

熱帯じょう乱の北東象限は、大雨の起こりやすい場所である。日本の南海上に台風などの熱帯じょう乱がある時、その北東象限で大雨となった事例は数多い。1998年の那須豪雨、2000年の東海豪雨などもそうである。それらについては、いずれ本連載でとりあげる機会があるかもしれない。このタイプの大雨は、台風ばかりに目を向けていると警戒がおろそかになりやすいので、注意が必要である。

1961年の伊那谷豪雨は、梅雨期にそれが起こった。南海上の熱帯じょう乱があまり強くなく、いくつかに分散していて、とらえどころがないように見えるが、熱帯の水蒸気を日本列島に供給する役割という意味では、熱帯じょう乱は必ずしも強いものである必要はない。発達した台風は周囲の水蒸気を中心の周りに引き寄せるが、あまり強くない熱帯じょう乱は水蒸気を中心の周りに引き寄せる力が強くなく、かえって大量の水蒸気を低緯度から招き寄せて、じょう乱の北東象限に送り込む働きをする。そのへんのメカニズムについても、機会があれば解説してみたい。

「昭和36年梅雨前線豪雨」による全国の雨量は600億トン以上で、それは琵琶湖の水量の約5倍、日本全国の年間雨量の約10分の1と言われる。なかでも伊那谷豪雨は数100年に一度の大雨と言われるが、同程度の豪雨が今後数100年は起こらないという保証はない。いや、条件さえ整えばいつでも起こり得る、第2の「伊那谷豪雨」への備えは、できているだろうか。