なぜ防災意識の高かったはずの安渡地区でこれほど大きな被害が出てしまったのか。その原因を検証するために、住民の多くが安渡地区外の仮設住宅などに生活の場を移すなか、安渡町内会が主導し2012年6月に「安渡町内会防災計画づくり検討会」を設置した。住民と交流のあった吉川忠寛氏が所長を務める防災都市計画研究所が事務局を担当し、大矢根氏や自然災害と地域防災(自主防災組織)を専門とする早稲田大学教授の浦野正樹氏らが参加。震災後に現地調査に入り、アンケートやヒアリングによる調査などから住民の避難行動や避難所の運営を検証し、これまでの防災計画を抜本的に見直す作業を行った。

これらの調査から、安渡地区が大きな被害を受けた要因が明らかになった。その多くは自分のいた場所まで津波がくるとは思っていなかったために避難が遅れたことだった。

大槌町では土地の方言で駄々をこねることを「こすばる」という。東日本大震災では津波警報が発せられても「ここから動きたくない」と「こすばる」老人が多かった。さらに、「こすばる」老人の避難を支援をしている最中に津波に巻き込まれた消防団員も出てしまった。他にも、一度避難しても人の救助やモノをとりに戻った人が逃げ遅れていたり、地区内を南北に貫く県道を通って高台まで車で駆け上がり助かった人がいる一方で、渋滞により逃げ遅れた人もいたことも判明した。

「住民へのアンケート調査やヒアリング、ワークショップは『地域住民の見かけの同意』を得るために利用される場合もあり、形式主義に陥りやすい。しかし、安渡地区ではもう一度防災を立て直すためにリーダーと住民が協力し、訓練を受けた専門家による細やかな聞き取り調査が行われた」と大矢根氏は調査の重要性を指摘する。

写真を拡大  大槌町市街地の現状
被災した役場庁舎。ここで40人の職員が命を落とした
被災した防潮堤