関東地方では戦後初の治水・利水ダムである五十里ダム(栃木県日光市、鬼怒川上流、提供:高崎氏)

森林の保水力限界論

森林の水源地涵養機能(緑のダム)に関する専門家や研究会などの見解を確認しておきたい。「緑のダム」を学術的に研究してきた学者や研究者は、自己の研究対象を「緑のダム」とのあいまいで情緒的な言葉で表現することを好まなかった。林学界の長老・四手井綱英(しでい・つなひで)氏の論は明快である。(以下肩書は図書・論文発表時)。氏は森林生態学者で、京都大学名誉教授。「里山」の提唱者で知られる。「森の人 四手井綱英の九十年」(森まゆみ)から引用する。

「森林が荒れると必ず気象災害が起こる。明治の末期から大正の初めにも台風害などの気象災害が起こった。これは日清、日露戦争で軍需用材をメチャクチャ切ったからです。それで大正の初期に国は大々的に植林をした。民間もそれにつられて木を植える。面白いことに太平洋戦争の後も同じでした。災害が集中しまして、これは山が荒れたからだと植林する。造林学もそれで盛んになった。山を荒らすものは必ず仕返しを受ける。山の神を怒らすからね。むかしは山の神のたたりだといっていました」

<問い>:「森は材木を生産するばかりでなく、風害や火事を防ぐほか保水力も森の大きな効用だといわれていますが」

<答え>:「それはまちがいです。森についていろんなまちがいがはびこっていますが、特にその大きな一つです。森には水源涵養力があると。つまり、降った雨を保って、むやみな洪水を防ぎ、一方それを徐々に地下水にかえ、沢の水のようなきれいな山にして人をうるおし、川をうるおす。川の水量を確保する、というわけですね。それはとてもきれいな単純な話です。森に雨が降る。そのうち大きい穴を通って下にしみ込んで地中水、地下水となり河川へ流れ出すのを重力水といいます。もう一つは土が吸う、また地表から蒸発する、これを毛管水といいます。これがまた絞り込まれて川に入るなんていう人がいるらしいけど、誰が絞り出すわけ?(笑)。降った雨がすべて川へ流れると考えるのはあやまりです。木はずいぶん水を使うんです。生きているんですから」

「それから保水力、森があれば洪水が起こらないように単純にいう人がいる。しかし、あまり森を過信しないでもらいたい(笑)。なぜ水源涵養力なんて迷信がはびこるかといいますと、はげ山からは雨が降ると下流にどっと水が流れるが、雨が降らないと枯れ川にかわる。一方、樹に覆われた山からは常時、安定的に川に水が流れているように見えるからじゃないかと思う。しかし、これは『ように見える』だけであって、要するに川床のちがいなんですね。はげ山の場合は表土侵食がはげしくて、それが流されて下流の河川敷にたまり、いかにも一見枯れ川にみえるんです」

氏は「森林III」でも指摘する。「森林所有者や林業者は森林の洪水防御効果を過信しているようだが、私は日本の長雨と豪雨では森林の効果は信じないほうが良いとさえ考えている。洪水防止どころか、森林の崩壊が心配だ」 

「緑のダム」評価と「ダム不要説」

宇都宮大学農学部名誉教授藤原信氏は「緑のダム」効果を高く評価し「ダム否定(または不要)」論を訴える。氏の著作「なぜダムはいらないか」から引用する。

「ダムが河川環境を破壊し、生態系に大きな影響を及ぼすことが指摘されるようになり、人工のダムに頼るよりは、森林を整備して”緑のダム”としての機能を発揮させるべきであるという声が大きくなっている。人工のダムの寿命は数十年、長くても100年と言われている。コンクリートが劣化すれば補修費がかさむ。堆砂が進めばダムとしての機能を失う。堆砂の除去にも多額な費用がかかる。堆砂は海岸線の後退を招いている」

「『森林は中小洪水においては洪水緩和機能を発揮する』という前提に立てば、計画中のダムのほとんどは中止すべきであり、現在あるダムでも、不必要なダムは撤去し、河川環境を自然に戻すべきではないだろうか。周辺の森林整備を進めれば、数十年後には自然はよみがえり、立派に洪水緩和機能を発揮する”緑のダム”を、子や孫に贈ることができるだろう。超洪水対策については、100年確率の降雨に備え得るような遊水地を確保するとともに、ハザードマップの整備、非常時における緊急避難的な水田貯留など、洪水と共生できるような体制を整える必要がある。渇水対策としては、常日頃から水の大切さを訴えるとともに、万全の節水対策を用意する。いま、全国の森林の荒廃が憂慮されている。このまま放置すれば、森林土壌は流亡し、森林の持つ保水力も低下する恐れがある。手入れの遅れている森林の整備こそ、まさに急務であると思う」。