震災から13日後の仙台空港(下)には水が見当たらない(提供:国土交通省)

全国の国交省排水ポンプ車を結集

6年前に東日本を襲った大震災と津波による死者・行方不明者は2万人近くにのぼる。岩手県・宮城県・福島県の大津波による被害は甚大であった。発生後、現地取材を続けるにつれて、東日本大震災がもたらした大打撃は、激震よりも大津波による被害がはるかに大きかったことを痛感した。仙台平野では海岸線から5km以上の内陸まで津波が繰り返し押し寄せた。宮城・岩手両県の内湾部では、既往の最大外力を計画高とした高さ10m以上の防波堤・防潮堤をはるかに上回る津波が襲来し、沿岸部の港や市町村を飲み込み壊滅的な被害をもたらし多数の<帰らぬ人たち>を生んだ。

大津波の襲来により、東北地方・太平洋の沿岸部では約469km2が浸水し、発生から2日後の3月13日時点で約170km2、約1億1200万m3の湛水が生じていた。沿岸部のほぼすべての地域が泥沼状態だった。広大な水田は海水の泥海となり再生不可とまで言われた。

国土交通省では東北地方整備局(地整)内に「本省・地整排水チーム」を設置し、全国から集結した排水ポンプ車を投入して広域緊急排水を実施した。164日間(3月16日~8月26日)にわたり、排水ポンプ車延べ約4000台/日!で約5600万m3を排水した。ほぼ半年間も排水作業が連日続いた。行方不明者の捜索活動支援のための緊急排水も増大した。前例のない試練の作業だった。

仙台空港を救え

東北の空の玄関・仙台空港も大津波に繰り返し襲われ、大海の孤島のような孤立無援の状態となった。仙台空港鉄道も心臓部であるアクセストンネルが水没した。空港・鉄道ともに運行不可能となった。空港での緊急排水大作戦は国土交通省の総力をあげたオペレーションであり、その底力を見せつけるものであった。同省の排水ポンプを集中投入し25mプール1万4000杯分という気の遠くなるような排水を行い、米軍の「トモダチ作戦」を可能とし、4月13日の空港一部復旧の大きな助けとなった。

「仙台空港再生」の主な経緯から確認する。すでに知られている内容だが、あえて記しておく。

3月11日 地震・津波発生(仙台空港水没・孤立)
同月13日 排水開始(排水ポンプ車2台)、ヘリ調査開始
同月15日 宮城県より仙台東部低平地の排水対策要請
同月15日 仙台空港周辺の水路網を含めた現地調査
同月16日 宮城県との排水対策個所の調整に伴う現地調査
同月16日 在日米軍が仙台空港直陸「トモダチ作戦」開始
同月20日 排水ポンプ車集中投入(3月24日、最大21台)、米軍大型輸送機着陸
同月29日 空港周辺排水終了
4月2日 空港アクセス鉄道トンネル排水終了(空港緊急排水終了)
同月5日 「トモダチ作戦」終了
同月13日 国内線一部運航開始

<東日本大震災の事例>(『災害初動期指揮心得』(国交省東北地整、2013年3月刊)より)は指摘する。

津波被災した仙台空港の緊急排水にあたっては、3月15日に宮城県より仙台東部低平地の排水対策要請があり、「本省・地整排水チーム」は排水計画に着手した。この計画において、緊急輸送(空港)の確保は最優先に位置付けられ、3月16日に宮城県と行なわれた現地調査において、最優先で仙台空港周辺の緊急排水を行なうことで合意した。これを受けて、本省チームによるヘリ調査とともに、国土地理院による被災後の空撮写真や土地改良区の水路網図など資料を入手、整備局職員、防災エキスパートによる現地調査を立案し、3月20日には排水ポンプ車の集中投入を実施し、延べ250台 /日の排水ポンプ車により3月29日までに計6345万m3(残り約1000万m3は自然排水)の排水を完了した。(驚くべき数字である)。