宮城県内被災地での復旧作業(提供:高崎氏)

仙台建設業協会、独自のノウハウ活用

仙台市内と近郊の町村の建設業者81社で組織される仙台建設業協会は震災時協力協定を締結しており、大規模災害発生時には直ちに復旧活動の支援にあたることを決めている。災害直後、協会員の各社は直ちに出動し、被災地パトロールに続いて道路の応急処置やがれきの撤去を行う道路啓開(けいかい)に入った。警察や消防の活動も支援した。

津波被害が甚大であった仙台市東部地区では、道路の寸断や散乱した大量のがれきの山が緊急車両の通行を妨げた。被災者の捜索や救助活動も難航させた。国土交通省が県や自衛隊と共に行った、東北道や国道4号から沿岸部へ向けて緊急車両のルートを複数確保する「くしの歯作戦」にも参加し、建設業のノウハウを存分に生かした。

道路啓開と並行して、震災当日から行方不明者の捜索に伴うがれき撤去に取り組んだ。休みをとる時間はなかった。地元建設業者は自分たちも被災者でありながら、復旧に向けて動き出した。震災の直後から携帯電話などの通信手段はまったく使えなかった。燃料不足と食糧不足が現場を苦しめた。

作業は広範囲に及び、河川で排水作業を行いながらのがれき撤去、道路のがれき撤去、宅地・農地・工業団地等の津波漂着がれきの撤去、各区に設置された震災ごみ仮置き場からのごみの撤去、市立学校の復旧改修工事など、活動対象は多岐におよんでいる。建設業協会の総力をあげた奮闘により、目標時期より前に仙台市内のがれき撤去を完了することができた。市の震災がれきの迅速な処理に弾みをつけることになった。  

仙台建設業協会が迅速に動けたのは日頃からの訓練のたまものと言える。海岸に面した同市若林区では、車両を実際に動かす防災訓練を同区と会員企業が2010年年12月に実施し、震災直前の2011年3月3日に反省会を開き、道路啓開の優先順位など区の考え方を会員企業が開いていた。これが迅速な行動につながった。考える前に体が動いたという。

仙台建設業協会の災害応急措置協力会本部で副本部長を務める深松組(本社:仙台市青葉区)の深松努社長は、被災当日仙台東部道路まで来て衝撃を受けた。東部道路を隔てた東西で、天国と地獄にたとえることが出来るほどの別世界が広がっていた。行方不明者の捜索と遺体収容が進む中での道路啓開作業は、作業員にとって精神的にも苛酷だった。泥まみれの遺体を次々に目にし、作業員はあまりのむごさに泣きながら作業を進めた。落ち着いて来た時のPTSD(心的外傷後ストレス障害)を深松社長は懸念した。

深松社長は、建設業協会としての防災活動のあるべき姿を次のように考える。1.普段の訓練は机上ではなく実際に動いてみるべきである。2.発注者(行政)との綿密な打合せを日頃から行っておく必要がある。3.震災が起こったら通常の通信手段は使えないものと考え、自発的にどう動くかを普段から考えておく必要がある。経験に基づく助言と考える。災害時の建設業界の奮闘を改めて評価したい。

(つづく)