お雇い外国人ミルン、日本の地震・耐震構造学の父
英人鉱山技師が地震研究をライフワークに
高崎 哲郎
1948年、栃木県生まれ、NHK政治記者などを経て帝京大学教授(マスコミ論、時事英語)となる。この間、自然災害(水害・土石流・津波など)のノンフィクションや人物評伝等を刊行、著作数は30冊にのぼる。うち3冊が英訳された。東工大、東北大などの非常勤講師を務め、明治期以降の優れた土木技師の人生哲学を講義し、各地で講演を行う。現在は著述に専念。
2019/09/30
安心、それが最大の敵だ
高崎 哲郎
1948年、栃木県生まれ、NHK政治記者などを経て帝京大学教授(マスコミ論、時事英語)となる。この間、自然災害(水害・土石流・津波など)のノンフィクションや人物評伝等を刊行、著作数は30冊にのぼる。うち3冊が英訳された。東工大、東北大などの非常勤講師を務め、明治期以降の優れた土木技師の人生哲学を講義し、各地で講演を行う。現在は著述に専念。
明治新政府は殖産興業と軍備強化を国策の2大柱に据えた。だが、近代的な産業・軍事・医学・法律・教育方面の知識は比較にならないほど遅れており、その一方で欧米列強の政治・経済的圧力は高まる一方だった。そこで「近代化を急げ」との掛け声の中、薩長閥の新政府は欧米から「お雇い外国人」を招いて欧米への「追いつけ追い抜け」政策を推進した。
「お雇い外国人1概説」(梅渓昇)などによると、政府が雇った「官傭(かんやとい)外国人」は、1874年、1875年(明治7年、8年)が最高で約520人に上る。国別ではイギリス人266人、フランス人100人、アメリカ人58人、ドイツ人、33人、オランダ人19人などとなっている。イギリス人は鉄道などの技術者が多く、フランス人は造船関連などが多い。アメリカ人は北海道開拓を指揮する者が多く、オランダ人は河川・港湾関連事業に従事している。また出身国を問わず学術教師として活躍したものも少なくない。
今回は「災害大国」日本に招かれて、専門外の地震研究にとりつかれライフワークとした若きイギリス人技術者を取り上げる。
安心、それが最大の敵だの他の記事
おすすめ記事
※スパム投稿防止のためコメントは編集部の承認制となっておりますが、いただいたコメントは原則、すべて掲載いたします。
※個人情報は入力しないようご注意ください。
» パスワードをお忘れの方