生か、死か、それが問題だ

私の好む名セリフを上げてみよう(以下、福田恒存訳などから引用する)。

「ああ、このけがらわしい体、どろどろに溶け、露になってしまえばよいのに。せめて、自殺を大罪とする神の掟さえなければ。ああどうしたらいいのだ。この世の営みいっさいが厭になった」。(1幕2場)

父を殺害した叔父の妃が愛する母であることにハムレットは悩み苦しむ。そして

「たわいのない、それが女というものか!」’Frailty、thy name is woman!’(同上)と叫ぶ。女性不信(父の死後間もなく叔父と結婚してしまった母親への不信)から恋人オフィーリアに冷たく当たる。うら若い恋人は悲嘆のあまり狂気に駆られ死に追いやられる。

「なんとみごとな傑作か、人間とは。理性においていかに気高く、その能力、姿かたち、運動においていかに無限か。だが私にとっては、こんな泥の精髄にいったい何の意味があろう。人間を見ても私のこころは喜ばぬ」(2幕2場)。真冬の夜に父の亡霊に会いその暗殺を聞かされて以降、ハムレットは気がふれたような行動をとり始める。狂気を装うのである。

「生か、死か、それが問題だ。どちらが男らしい生き方か、じっと身を伏せ、不法な運命の矢弾を耐え忍ぶのと、それとも剣をとって押し寄せる苦難に立ち向かい、とどめを刺すまで引かぬのと、一体どちらが。いっそ死んでしまった方が。死は眠りにすぎぬ―それだけのことではないか」(3幕1場)

あまりにも有名な台詞’To be ,or not to be, that is the question;…’で始まる長い独白である。青白きインテリ・ハムレットを印象付ける名セリフとして広く知られている。日本でも明治期以降、多種多様な和訳や解釈が試みられた。明治15年(1882)の「新体詩抄」(翻訳詩集)に初めてこの独白が訳されて紹介された。「永らうべきか、ただし又永らうべきにあらざるか、ここが思案のしどころぞ」。その後「生きるか、死ぬか、それが問題だ」との簡潔な直訳も出た。

「もし人間が時を費やして得るものが、ただ食って眠ることでしかないとすれば、人間とは何者なのか。けだものすぎぬ。神がわれわれ人間にこれほど大きな推論の力、先を見、後を顧みる力を与えたのは、この能力、神にも似たこの理性を、いたずらに朽ち果てさせるためではなかったはずだ」(4幕4場)。

先王殺害とよく似た場面を現王クロ-ディアスの前で旅回りの劇団に演じてみせた劇中劇によって、王が大いにうろたえ激怒する姿を見たハムレットは、亡霊の言葉通り、現王が父ハムレットを殺害したことを確認する。ハムレットは絶望の淵に立つが、復讐心を新たにする。