広報映画「10年後の東京」(石川制作)

GHQ意識したPR動画

昭和21年3月、石川は、東京の人口を300万人に抑えるため、周辺の衛星都市に人口を吸収し、第一次計画としては、半径40km圏内にある諸都市に諸施設を分散収容することとし、第二次計画では、それを半径100km圏内まで拡大する方針を固めた。これらの都市に合計400万人を収容することによって東京の膨張を防げると考えた。

同年に2冊の図書を刊行した。「新首都建設の構想」(戦災復興本部)、「都市復興の原理と実際」(光文堂)である。

昭和22年(1947)夏、石川は映画「二十年後の東京」を企画立案する。多才な彼の一面を示す作品は、16mmのフィルムで上演時間は30分である。(財)日本観光映画社制作・企画東京都都市計画課となっている。ビデオは「イギリスの大臣が嘆いて、紙の都市が欲しいと言った」から始まる。焼け野原の航空撮影に続いて「都市計画や復興の良い機会」、「日本には友愛の精神がない」「民主的でもない」、「東京では公有地16%、私有地84%」などのテーマが映像をまじえて展開される。最後に「一にも二にも土地が欲しい・・・」と訴えて映像は終わる。「民主主義樹立のために都市計画を理解して欲しい」との再三の訴えは検閲をするGHQを意識したものであろう。
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「GHQ民政局から、都心に残されている大量のガラ(がれきの俗称。残骸、残土など)をいち早く排除して都市計画を提示せよ、と矢の督促なのだ。そこで掘割や河川をガラの捨て場にあて埋め立てれば、ガラの排除と用地取得の一挙両得になる。GHQにNOは言えない。直ちに取りかかって欲しい」

東京都庁知事室で安井誠一郎知事は、目の前に立つ都市計画課長・石川栄耀に眉を吊り上げて命じた。石川は、学生時代から下町を散策してわずかに残された江戸情緒に親しんできた。その情緒を伝えるものが都心を流れる掘割や河川であった。都会の水辺の必要性を誰よりも訴えていたのが他ならぬ都市計画家石川であった。都会の水辺や緑の空間は是非守りたいと考えて来た。その石川に「川を殺せ」との厳命である。

「掘割や河川を埋め立ててしまいますと都会の風情がなくなります。水辺公園(リバー・サイド・パーク)が生まれません。防災上問題を残します。しかもガラの排除には国からの補助金も出ないと聞いています」石川は賛成しかねるとの考えを強調した。

「君、そんな悠長なことを言っている場合じゃないんだ。GHQには逆らえないことくらい君も知っているだろう。すぐ対応してくれたまえ。またGHQは新たな都市計画を都民に積極的にPRしろとも命じている」。