セキュリティに関するさまざまな勘違いを検証する(イメージ:写真AC)

セキュリティを感情論で考える誤謬性

セキュリティに関して、正しく理解し適切な行動ができていると自信を持っていえる人がどれほどいるだろうか。

セキュリティは社会生活のみならず、国家や企業組織を支える基盤であり、個々人の活動がその礎である。にもかかわらず、実態はお寒い状態ではないだろうか。それは、セキュリティに関してさまざまな勘違いが広まっていることが原因ではないかと思っている。

セキュリティに関して感情論での議論が多いのはなぜ(イメージ:写真AC)

セキュリティに関して、巷では陰謀論にも近い論争や感情的感覚論での吹聴が多い。セキュリティは本来、ロジカルで具体的なリスクとその低減策をもって語られるべきものであり、感覚的感情論とは対極にある存在だ。が、社会の方向性を定める政治・行政において、特に意思決定に関与する領域では極めて文学的な感覚によるあいまいな説明が支配的である。

政治の理解不足が理解不足の世論を生み出し、そのうえで政治がポピュリズムに傾倒するという悪循環である。かつ、マスメディアにおいても視聴率傾倒という同種の環境が形成され、情報空間が感情論に支配されてマッチポンプとなるのだろう。

政治を監視し、実態を一般に知らしめる情報発信責任があるマスメディアがまったくもってロジカルではないのは致命的である。確かに正しい情報を伝えるのは受け側に退屈感を与え、視聴率を稼げないかもしれない。感情論で危機を煽り、陰謀論をちらつかせた方が視聴率は取れるだろう。そしてそれに同調する専門家と称するメディア御用コメンテイターが、ビジネスとしてメディア受けするコメントを発信する。

だが、そのような環境で支配的になっている情報を鵜呑みにしていては、セキュリティなど保てるわけがなく、社会が混乱に陥りかねない。