大鯰を懲らしめる民衆を描いた鯰絵(出典:Wikipedia)

〇「富嶽百景」(葛飾北斎、1834年刊、3冊)。
<まさに天変地異!富士山大噴火>
「富嶽三十六景」で有名な葛飾北斎(1760~1849)が手掛けた絵本です。富士山をテーマに、風景だけでなく神話や歴史、各地の風俗などを交えて102図を描いています。図版は1707年(宝永4年)に約840年ぶりに起きた富士山大噴火の被害を表したもの。噴火は2週間も続き、火山灰は江戸の町まで達しました。富士山の中腹にある宝永山は、この時にできたと言われています。あえて噴火の様子を描かず、瓦礫の下敷きになった馬や逃げ惑う人々の姿を描くことで、火山災害の恐ろしさを伝えています。
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以下は同冊子の「安政の大地震特集」である。
1855年11月11日(安政2年10月2日)夜9時過ぎ、東京湾北部を震央とするマグニチュード7(推定)の直下型地震が起こりました。江戸の町では下町を中心に建物の倒壊が多く、吉原をはじめ30か所以上で火災が発生したため被害が拡大しました。一説には死傷者7000人強とされていますが、記録に残っていない地域も含めるとその数はさらに大きくなると考えられます。

〇「信州善光寺大地震焼失水押之次第(みずおしのしだい)」(1847年刊、1冊)。
<安政の大地震の前ぶれ?>
1847年(弘化4年)5月8日に、現在の長野県北部から新潟県にかけて発生した善光寺地震について記した版本です。この地震は山崩れや川のせき止め、洪水など、多くの二次災害をもたらしました。本書には、善光寺御本尊の御開帳期間のため、多くの参詣者が集まっていた地震当時の善光寺付近の様子や、その後に起きた周辺地域での火災や山崩れなどの被害について記されています。

〇「安政見聞誌」(歌川国芳、芳綱ほか編、1855年刊、3冊)。
<屋根のない仮屋から大空の星をのぞんだ>
安政の江戸大地震に関する報道的な意味合いの強い出版物です。江戸時代は出版する際、政府の許可を得なくてはならなかったにもかかわらず、無許可で出版したためすぐに発禁処分となってしまいました。戯画化が持ち味の一つである浮世絵の作風と比較すると、リアルな目線で地震後の江戸を描いていることが分かります。しかし悲惨な様子だけでなく、地震と火災で壊滅した吉原の遊郭が、仮宅で早々と営業している様子も描かれており、江戸の人々の力強さを感じます。

〇「地震風刺絵」(1855年頃刊)
<辛いときこそ発揮される江戸っ子のユーモア>
安政江戸地震の発生直後から約2カ月間、「鯰絵(なまずえ)」と呼ばれる浮世絵がたくさん刊行されました。いずれも地震の原因と考えられていた大ナマズを題材にしていますが、表現方法はバラエティに富んでいます。もっとも代表的なのは、地震をおさめる神様であるタケミカヅチと地震を鎮める「要石」を描いた、お守りとしての図です。

その他、タケミカヅチとナマズを歌舞伎の演目に見立てた図、庶民が一丸となってマナズを懲らしめている図、復興事業によって経済的に得をした職業を風刺する図など、思わずクスリと笑ってしまうようなユーモアが盛り込まれたものも沢山あります。これらを見ると、鯰絵が地震除けのお守りとしてだけでなく、震災で傷ついた心に笑いやしばしの癒しを与えるものとして求められていたことが分かります。
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会場には初めて接する史料・絵図が数多く展示されていたが、紹介した冊子はみごとな<自然災害アンソロジー>といえ、災害列島日本の自然の猛威・脅威に対する温故知新の思いを深くした。優れた企画展に接すること、その良いカタログを読むことほど知的に充実した時間はない。

謝辞:「安政の大地震展 大災害の過去・現在・未来」から多くの引用をさせていただいた。心から感謝したい。また歴史学者北原糸子氏の諸著作を参考にさせていただいた。お礼を申し上げたい。

(つづく)