余部橋梁と列車転落事故慰霊碑(写真AC)

暴風と言えば、台風か、強い温帯低気圧、もしくは竜巻などを思い浮かべる人が多いかもしれない。だが、暴風の中には、小さな低気圧に伴って吹くものがある。天気図では取るに足りない低気圧のように見えても、ごく狭い範囲に暴風を伴っていることがある。

1986(昭和61)年12月28日、山陰本線の鎧(よろい)~餘部(あまるべ)間で、列車が暴風にあおられて鉄橋から転落する事故が発生した。余部(あまるべ)橋梁列車転落事故である。回送列車のため乗客はいなかったが、鉄橋の下にあった工場の従業員や列車の乗務員など6名が死亡、6名が重傷を負った。この事故の引き金となった暴風は、日本海に発生した小さな低気圧によるものであった。

こんな低気圧で…

余部橋梁は、地上高41.5メートルのところにある。それゆえ、この橋梁を通過する列車は「空中列車」と言われたりもする。現在の余部橋梁は2010年に造られたコンクリート橋だが、それ以前は鉄骨をやぐらのように組み上げた鉄橋で、山陰本線の名所のひとつであった。

筆者はかつて、列車の乗客としてこの橋を通過したことがある。それは、この橋がまだ鉄橋の時代であった。車窓から見える日本海は絶景であったが、橋の下を見て恐ろしくなったことを覚えている。旧鉄橋の橋脚3本は、今も現地保存されている。その上に、2013年に設けられた展望施設は「空の駅」と名づけられた。

この橋梁で列車転落事故が発生したのは、1986(昭和61)年12月28日13時25分頃である。ディーゼル機関車の牽引する8両編成の下り回送列車が、日本海からの暴風にあおられ、橋梁の中央付近で、機関車を除く7両が地上へ転落した。当時の最大風速は、毎秒約33メートルと推定されている。

図1(左)に、事故発生の約4時間前の地上天気図を示す。この天気図は、気象庁が公表した公式のものである。関東の東に前線を伴った1004ヘクトパスカルの低気圧があり、それとは別に、前線を持たない1008ヘクトパスカルの低気圧が日本海に描かれている。この天気図を見て、その約4時間後に、兵庫県北部で、列車を鉄橋から転落させる暴風が吹く可能性を思いめぐらすことは、なかなか難しい。「どうして、こんな低気圧で…」とは、筆者も含め、気象専門家の多くが抱いた正直な印象であった。

画像を拡大 図1. 1986 年12月28日9時の地上天気図(左)と気象衛星赤外画像(右)

図1(左)をよく見ると、日本海の低気圧の中心に近い隠岐島で、30ノット(約15メートル/秒)の西南西の風が吹いている。また、低気圧中心の北側にある自動気象観測ブイも、北北東の風30ノットを報じている。したがって、日本海の低気圧が10数メートル/秒の強風を伴っていることは、この天気図からでも分かる。しかし、吹くとしても、せいぜいその程度の強風であろうと考えるのが常識的な見方であり、事故の報道は、にわかには信じ難いものがあった。

雲渦

図1(左)の地上天気図と同時刻の気象衛星画像を、図1(右)に掲げる。日本海の低気圧に伴う雲域は、直径数100キロメートルの広がりを持っている。地上天気図(図1左)と対比させてみると、雲域は、低気圧中心の北側に広がっていることが分かる。つまり、低気圧中心は、雲域の南縁付近にあることになる。そして、気象衛星画像では、低気圧の中心付近(雲域の南縁付近)で、雲域がフック(鉤)のような形をしているのが見られる。実は、これは、低気圧が突風などの激しい現象(シビア・ウェザーという)を伴う可能性を示唆する特徴なのだが、図1(右)の場合は雲域の輪郭が明瞭でなく、あまり典型的なものではなかった。

この低気圧が危険な低気圧であることを示す特徴は、気象レーダーの画像に現れていた。図2は、事故発生の85分前のレーダーエコー分布である。A、B、Cで示された3つの渦が見られる。いずれも、日本海の沖合から陸地へ向かって東南東へ移動し、このうちBで示された渦の中心が28日13時過ぎに余部橋梁のすぐ東側の兵庫県北部に達した。

画像を拡大 図2. 1986 年12月28日12時のレーダーエコー分布(山岸,2012 による)

これらの渦に伴って、山陰地方や近畿北部では、強い突風が観測された。最大瞬間風速が30メートル/秒を超えたのは、隠岐島の西郷(31.9メートル/秒、西、9時30分)、出雲空港(31.6メートル/秒、西南西、10時30分)、鳥取空港(33.6メートル/秒、北北西、13時00分)、鳥取市(30.5メートル/秒、北西、13時00分)の4地点である。

低気圧の実態

気象レーダー画像の詳細な解析によると、図2の雲渦Bは、28日9時30分頃、隠岐島に最も接近したことが分かっている。その時、隠岐島の西郷測候所(当時)で観測された最低気圧は、およそ1004ヘクトパスカルであった。この事実を踏まえて図1(左)の地上天気図を見ると、日本海に描かれた中心気圧1008ヘクトパスカルの低気圧は、実態を正確に表していないことが分かる。

図2から分かるように、この時は、日本海にいくつもの雲渦が見られた。言い換えれば、小さな低気圧がいくつも存在していた。その中で、雲渦Bに相当する小低気圧の中心気圧が最も低かったと見られる。この種の雲渦は、水平スケールが数10キロメートルから数100キロメートルで、中心気圧が周囲より数ヘクトパスカルまたはそれ以上低くなっていて、中心付近の狭い範囲に暴風や強風を伴うという特徴がある。一般に、最も警戒すべきは雲渦の南西象限であり、台風眼のように見える渦中心の雲の少ない領域の南西側の外壁で、風速が最大になっている。

このようなスケールの小さい現象を、天気図にどのように表現すべきかは、たいへん難しい問題である。図1(左)のように、日本海に低気圧を1つだけ描き、日本海の気圧が低くなっていることを大局的に示すにとどめている天気図もあるが、現象の実態はそれと異なることに注意しなければならない。台風については、中心付近で気圧が著しく低くなっていることが重要な情報として表現されるが、台風以外の低気圧については、細かな特徴を省略して描かれることもある。天気図を利用する場合には、細部が省略されている可能性があることに気をつけながら見る必要がある。

ちなみに、筆者が入手できたデータを用いて、図1(左)と同時刻の気圧分布を詳細に解析した結果を図3に示す。山陰沖から北陸沖にかけての海上に表現した3つの低気圧は、西から順に、図2の雲渦A、B、Cにそれぞれ対応する。隠岐島付近の雲渦Bに対応する低気圧の中心気圧を、西郷の最低気圧に基づいて1004ヘクトパスカルとしたが、これよりさらに低かった可能性がある。

画像を拡大 図3. 筆者が描いた1986年12月28日9 時の気圧分布 。等圧線を1 hPaごとに描き、5 hPaごとに太線にしている