震災復興の理念、禍を転じて…

嘉納の震災復興の理念とは、どのようなものだったのだろうか。また、嘉納の震災復興の理念と体育やスポーツの発展は、どのように関係するのだろうか。

関東大震災の直後、雑誌「柔道」に掲載された巻頭言「禍を転じて福とせよ」で、嘉納は<今日こそ国民挙げて大なる決心を以て立つに最好の機会である>と以下のように述べている。

<被災者に対する救援、慰問は当然であるが、子どもの教育と同じように、万事が順調に進んで苦労することが少なくなれば、精神がゆるみ、怠惰になりぜいたくを求めるようになってしまう。日本は明治維新以来、外国の文化を輸入してうまく自分たちのものにし、順調に進んできた。内には制度を改め、教育を普及し産業を興し、貿易も発展させてきたので、至る所に油断や自己中心主義が広がりつつある。今回の大震災を、日本人の将来のためになるように考えねばならない。そのためには、自他共栄の考えを国内および対外方針として国力を充実しなければならない。そうすることで、世界各国から尊敬され、信頼される国になる。今後わが国民は、わが国をかくの如き位置に進めようということを理想とすべきである。>(「柔道」第2巻第9号、1923年)>

嘉納は、個人にあっても、国家にあっても、自国や自身のためのみの行動ではなく、他に尽くす生き方へ転換すべきだと主張した。大震災前年の1922年、嘉納は講道館文化会を設立し、「精神善用・自他共栄」の考え、つまり「他者に尽くしてこそ自己完成がなされ、それにより社会や国を発展させられる」との綱領を発表している。

<外国人の中には、わが国はこういう災害にあったら必ず混乱状態に陥るであろうと予想していた向きもあったようだが、実際冷静に、この災厄を乗り越えつつある模様を見て、さすが日本人だ、既往の修養が然らしむのであろうと、賞嘆している>

日本人は大震災を乗り越え、必ず復興できると嘉納は確信していた。

ところで教育者嘉納のヒューマニズムを伝える障害児教育への実践を紹介しよう。

東京高等師範学校付属小学校の校長を兼務する嘉納は、同小学校に特別学級を全国に先駆けて設置し、中でも体育教育を重視するのである。

文部省は、1907年に訓令を出して、師範学校に盲・聾唖(ろうあ)児や心身発育不全児の特別学級を設置し、その教育方針の研究を奨励することとした。これを受けて、嘉納が校長を務める東京高等師範学校付属小学校でも、直ちにその研究が始められた。校長嘉納、主事(樋口長市)、訓導(小林佐源治)の3者が外国文献などを収集し、共通の理解に立って進められた。同校では1908年には知的障害のある生徒のための特別学級を設置し、自由な遊戯やスポーツなどを入れた体育に力を入れた。知識だけを身につけさせるのみでなく、障害があっても社会で自立して生きていける人間の育成を目指した。この教育は長く続けられ、障害児教育における体育・スポーツの研究が進んだ。障害のある人々にも体育・スポーツの効果があることを示したのだ。有能な人材も輩出した。

研究は嘉納が校長を辞した後も続けられ、現在、5校ある筑波大学附属支援学校に嘉納精神が受け継げられている。

参考文献:「嘉納治五郎」(講道館)、「嘉納治五郎」(真田久)、日本体育協会編「日本体育協会五十年史」、講道館及び筑波大学附属図書館資料。

(つづく)