地下鉄サリンを超えて
~ オリンピックを見据えて ~

 

株式会社重松製作所社長付主任研究員
(元陸上自衛隊化学学校副校長)濱田昌彦氏

20年前の地下鉄サリン事件の時の写真を見てみますと、消防署員、駅員、警察の方がいますが、みなマスクを装着していません。何が起こっているか分からないためです。私の先輩の自衛隊員が霞が関の現場に駆け付けた時、除染のために駅の構内に入っていったのですが、マスクを着けていない警察官が一緒についてこようとしたそうです。その先輩はすぐに警察官を避難させました。そのぐらい、何が起こっているか分からない状態だったのです。

この地下鉄サリン事件を受けて米国の地下鉄では、重要施設のための化学テロ早期対処システム「PROTECT(Program of Response Options and Technology Enhancements for Chemical/Biological Terrorism)」を導入し、2002年から主要都市で稼働しています。テロリストがサリンなどを散布した場合にはすぐにセンサーが検知して警報を鳴らし、オペレーションセンターに伝わります。念のために監視カメラでも確認しています。もちろん誤報もありますが、警報が鳴り、カメラで確認して人が倒れているようであれば、これは間違いなくサリンだと分かります。塩素などの有毒ガスも検知できます。このようなシステムが、乗客が見ただけでは分からないように巧妙に細工し、配置されています。

また、列車の運行状況も一括して分かるようになっていて、オペレーションセンターが列車を停止する判断をすれば、列車を止め、その状況が色分けでわかるようになっています。ほかにも、地下鉄サリン事件で乗客を空気の吹き出し口の所に退避させてしまい、ガスを吸ってしまったという事案もあったため、地下鉄の構内から有毒ガスがどの方向にどれだけ流れるかのリアルタイムの流動モデルも見ることができます。

地下鉄サリン事件では、人が倒れて、けいれんしている状況を見ても、それがサリンや神経剤によるものかどうか分かる人は少なかったと思います。現在では、「WISER」というスマートフォン用の無償アプリがあり、ここに「けいれんしている」とか「よだれを垂らしている」などの症状を入力していくと、アプリが何の薬品による症状が教えてくれます。

次に、2016 年に開催予定のリオデジャネイロ・オリンピックに対するブラジル陸軍の準備について見ていきます。ブラジルではCBRNE対策の判断支援ツールとして「CoBRA」というソフトを導入しています。このソフトでは、実際のサリンなどの薬品が流れ出した場合に、その動きを測定しながら、どこを避難経路で選んだらよいかの判断までリアルタイムで出すことができます。それらがCOP(Common Operational Picture:状況判断図)として映し出され、メンバー全員が認識を共有することができるのです。

また、SIBCRA(Sampling and Identification of Biological, Chemical and Radiological Agents:生物・化学・放射線物質のサンプリングと同定)チームが群衆のなかを検知のために動きまわるというケースもあります。何キロにもわたる群衆がいるなかに、サリンなどの物質が存在するかどうかはスタンドオフセンサーと呼ばれる5km先を見渡せるセンサーで行います。このようなSIBCRAチームとスタンドオフセンサーの組み合わせは、東京オリンピックでも大変有効ではないかと考えています。これらのシステムは2014年に開催されたブラジルのサッカーワールドカップで実際に活躍し、次回のリオ・オリンピックでも活用されようとしています。

日本では、2020年に東京オリンピック・パラリンピック大会を控えています。CBRNE 対策としては、まず脅威の分析とシナリオ設定をしっかりするということ。そしてたびたび議論にのぼる、国民保護法に規定された現地調整所という日本のやり方と、ICS(インシデント・コマンド・システム)をどう折り合いをつけていくかというところが、今後の課題になってくると考えています。