■復唱させて確認する
怒鳴り散らすこともありました。普段優秀なやつでも、危機の際には、頭が真っ白になってしまうんです。家族のことを考えたり、津波のことや、家のことを考えれば、当然です。そういう人間がいっぱいいたので「今、俺が何言ったか言ってみろ」と繰り返させたりして、具体的に指示をするように常に心掛けました。

■先手を打った対応
もう一点、あまりお話していないことですが、福島第二の施設内に、福島第一の人が来る場所と、治療する場所をかなり早い段階で作りました。これは先手が打てた対応だと思います。
ある新聞報道では、福島第一の所員が第二に「逃げた」という書き方をされましたが、あれは逃げたのではなくて、福島第一が危ない状況になったと聞いた直後から、当然、福島第一の所員はこちらに来ると思っていますから、その準備をしていたのです。ただし、福島第一はもう汚染されている危険がありますので、第二の中にそのまま迎え入れてしまうと、今度は第二の所員への対応が困難になってしまいます。そこで、第一の所員は絶対に第二の所員のところに入れるなという指示をしています。これが第一の人たちから見ると、「第二が第一をゴミ扱いした」ということで、いろんなところに取り上げられたわけですが、私は、今でも正しい判断だったと思っています。

■絶対席から離れない。理解させ、不安を取り除く
最終的には全て自分の責任だということを言っています。そして、私は絶対席から離れない。本当は現場に行きたくて仕方がなかった。でも、やっぱり私が離れてはまずいと思ったので、じっと座っていました。私の直属の部下で、キーパーソンになる人間を対面に座らせて、一緒に対話をしながら対応を進めるようにしました。普段通り振る舞い、笑顔でいるようにも努めました。大きな声でわざと冗談っぽく言ったり、これからどうなるという話を分かりやすく説明したり、原子力に詳しくない人間の不安を取り除くために、いろんなことを言っています。

毎日朝晩、全員で定例会議も開きました。これは、プラントの状況を全員に理解させる、あるいは分からないことは分からないというのをしっかり皆に理解してもらうためです。

■全員に役割を持たせる
それから、全員に役割を持たせるようにしました。こういうときは、全然何も役には立てないという人が出てきてしまうものです。ですから、「悪いけど、お前は届いたペットボトルを全員に配る役割だから、明日から毎日朝晩ペットボトルを配ってくれ」とか、トイレ掃除、シャワー室を掃除する人などすべて役割を持たせました。サッカー選手だった女性には毎朝の体操の指導を担ってもらいました。その結果か、何週間かたった時に看護師さんが私のところに来て、「うつが治った人が増えた」と報告を受けました。原子力事故でうつになってしまった人がたくさんいるんですが、役割を与えられて、皆と一体となって活動しているということを感じてやる気を取り戻してくれたのでしょうかね。やはり普段から、一緒になって歯車となって活動しているというのが分かるというのは、とても大事なことなんだと、改めて学びました。

■情報の流れを考慮した席の配置
ちなみに、私が座る場所についても、事故の1カ月前にやった訓練で、なるべく皆とアイコンタクトを取りながら話ができる場所に変えています。私の後には、現場の情報を持っている人間がいて、その後ろにはプラントの情報を全部握っている人間がいるので、私の前で話をすれば、ワンストップで情報が取れるということもあって、席の配置を変えました。当然、事故対応もこの席順で行いました。やはり、こういう改善も考えて訓練をやるべきだと思います。