かつての「メイド・イン・ジャパン」のブランドは取り戻せるのか(イメージ:写真AC)

部分最適の追求が招く国益毀損

今回からテーマを切り替えようと当初は思っていたが、これまで語ってきた部分最適の悪影響に関して、どうしても日本の過去の誤りと今後の活路を私見として語っておきたく、交渉術とは少々議論がズレるが、お付き合いいただきたい。

日本が「ジャパン・アズ・ナンバーワン」と称された高度成長期は、モノづくりの力で経済成長を支えた。政策的には、ブルーカラーの収入を高め、モノづくりを支える人材のプライドを高め、その能力を最大化した。その結果、モノづくりが支える1億総中流の社会が醸成されたと考えている。

そうして培った力の背景に、トヨタのカイゼンを代表としたTQC (Total Quality Control)やTPM(Total Productive Maintenance)などの現場活動があったのは疑いようがない。性善説的に個の力を同じ目標に向け、共通意識を高め協働することで、組織としての成果を発揮し続けてきた。

モノづくりジャパンを支えた背景にはTQCなどの現場活動があった(イメージ:写真AC)

本来これらの活動は、最後の文字をM(Management)にレベルアップし、経営改善に直結するPDCAプロセスの継続的な活動として、全体最適思考であるべきだ。実際それは、日本市場およびグローバル市場において、メイド・イン・ジャパンのブランド力として絶大な力を持つに至った。

しかし、グローバル社会の進展、ビジネス環境の変化は、異なる市場文化への適合が十分でなく、いつの間にか部分最適思考がはびこり、活動自体が目的化する事態に陥っていったのではないだろうかというのが、筆者の見解である。

この見解に違和感を抱く方も多いかもしれない。現場改善力にプライドを持って直近まで支えてきた方々からは、強烈な反論もあるかもしれない。筆者がこの見解を持つ理由をこれから述べていきたいので、冷静にまずは聞いていただきたい。過去の歴史を冷静に学び、そこから反省し、次に生かすという視点で、そのための反論もいただきながら議論を進めるプロセスが、次世代の発展につながる唯一の道だと考えている。