価値観の棚卸しと見直しが必要な時代になっている(イメージ:写真AC)

これまでの常識を疑い再考すべき時代

大きな時代の変化、歴史的うねりを体感する。2024年は歴史にその変化の元年と位置付けられるかもしれない、そんな予感すらする状況である。

中東情勢は、一時は平和に向かう様相に見えていたが、それも束の間、残虐な大規模テロが行われ、戦争状態に陥った。中東は、安倍総理時代の日本外交でも解決に向かえず、数少ない外交上の失敗を当時の安倍元総理も認めざるを得ない状況であった。

それがさらに時間とともに悪化に向かい、テロの脅威が顕在化し、国際的な輸送経路の安全も脅かされる状況にまで至っている。かつて歴史的親日国といわれた国家ですら大きく変貌しているのが現実だ。

また、中央アジアの親日国家が日本在住の人物、組織をテロと認定し資産凍結を実行したことも明らかになった。災害支援募金の一部がテロ勢力の資金援助に使われたとの憶測も出まわった。真実は現時点で不明であり、当事者は否定しているが、日本国政府としてのスタンスがいまだ明確にされていないのはなぜだろうか。

日本が提唱した「自由で開かれたインド太平洋」という戦略の主旨は保てるのか(イメージ:写真AC)

歴史的には、国家による民族弾圧、ジェノサイドの被害者が脱出し、その国家にテロ認定されるケースもあった。その事例では、その人物は弾圧を受けていた被害者側であり、後に米国などがテロリストではないと判断し、日本も同じ判断をしている。しかし今回のケースは、それと同じであるとはいい切れない状況である。

一方で、不法滞在者の法を逸脱する迷惑行為によって地域の治安が悪化し、法の厳格な執行を要請する地方議会の決議がなされるまでの事案にまで発展している。これらはリスクとして関連付ける必要があるかもしれない。

国際情勢はより一層混とんの様相を呈している(イメージ:写真AC)

一時ほどウクライナの戦況は報道されていないが、いまだ膠着状態で停戦、終戦のめどは立っていないのが現実だろう。そのような状況において、米国議会で予算が否決されるなど自由主義国家勢の支援も続かない様相を見せてきており、暗雲が垂れこめている。そうした状況下でも日本では終戦後に向けた復興支援会議が設定されており、オープンになっている情報だけでは理解しかねる不思議な状況である。

日本近郊では台湾情勢がいまだ不穏な状態で、日本のEEZ内にブイを設置される問題が発生しても、政府は相変わらずの『遺憾砲』に終始し何ら解決の方向性を見出せていない。尖閣周辺では中国当局の船による航行が常態化し、領海侵入も繰り返され、北朝鮮からはミサイル発射が日常化している。

さらに、元旦に能登半島地震が発生し、その翌日羽田空港で事故が発生。新年早々大変な幕開けをした。被害を最小限に抑える救援活動、被災者を支える救護活動が最優先の状況であるが、地震発生24時間以内にあった台湾よりの災害支援の申し出を、日本政府はなぜか断っている。

このような混とんとした環境において、かつて日本が世界に提唱した「自由で開かれたインド太平洋」という戦略が、いつの間にか「自由で開かれた国際秩序」に置き換わろうとしている。それで元来の戦略的主旨が保てるのだろうか。理解できない事態に思える。