判断の先送りによってリスクが大きくなる(写真:写真AC)

経済安全保障に向き合う姿勢を見直すのは今

経済の相互依存が高まれば平和になるというのは「明らかな幻想」であったとの発信が経済産業大臣からなされた。このことで、企業が大きな経営判断を迫られる状況になっていることを前稿で語った。また、今まで企業が経済安全保障問題へ向き合う姿勢は客観的に3通りに分かれていたのではないかということも前稿で示したが、おさらいの意味で繰り返す。

違法性がなければOKという考え方もあり得る(写真:写真AC)

一つは、あくまで「違法性の有無」を最優先の判断基準とし、逆説的に「違法性がない」のであればOKとする考え方だ。つまりさまざまな道義的な問題が指摘され、たとえそれが表面上の経営指針と反しているとしても、違法性がなければ経済性を優先する判断がなされるということだ。

違法性がないのだから、法的責任は追及できない。道義的批判がビジネスの成立を危ぶむほどの状況に発展しない限り、事実上何ら影響を及ぼすことはない。だが、筆者としてはこの考え方には与しないとも述べた。

二つは、経済性よりも上位の概念として経済安全保障問題やサステナブルなどの課題に真剣に向き合い、自ら率先垂範の活動を行う企業である。

このような企業には、経済性の優先順位を下げたとはいえ、結果として中長期的に事業拡大が実現できると期待したいし、このような企業の姿勢からは多くを学びたいと真剣に思う。ここで筆者が懸念し、提言する事項などすでに凌駕している存在なのだからだ。

決められないため様子見を決め込むのは事実上の見て見ぬふり状態(写真:写真AC)

三つは、様子見を決め込む企業だろう。「違法性はない」としても、「道義的な責任」は現実に考えており、表向きの経営指針として表明しながらも、現実問題としてはどこまで厳しく向き合うか判断を先送りし、そのために目の前の経済性を失うことを容認できない思いも強く、結局臭いモノに蓋をして様子見をする。

これは事実上見て見ぬ振りであり、いざ問題が露呈した際の企業の言い訳は、上位概念は通達していながら浸透できずに現場で実行しきれなかったという、トカゲのしっぽ切りのような結果が想像できる。

個々の事情による相違点はあっても、多くの企業がこのような状況にあるのではないだろうか。だからこそ、大きな分岐点に差し掛かっているのである。

この事態を動かすためにも、もう一度、西村経産大臣の行ったスピーチの内容を検証する必要がある。ここに示される「明らかな幻想」であった結果、どのような問題が発生し、課題となっているのか。