2014年の高潮における道路冠水と住民避難状況(写真提供:根室市)

高潮(たかしお)と言えば、台風によって引き起こされるものを連想する人が多いだろう。高潮害は、台風がもたらす代表的な災害態様の1つである。それについては本連載でいずれ解説するとして、今回とりあげるのは、冬季、発達した温帯低気圧によって引き起こされる高潮である。高潮は、温帯低気圧によっても起こる。

2021(令和3)年2月16日、根室半島を中心とする北海道東部地域は、猛烈に発達した低気圧の接近・通過に伴って海面が上昇した。潮位(海面の標高)は、根室で125センチメートル、霧多布(きりたっぷ)で120センチメートル、釧路で105センチメートルに達し、住家浸水や道路冠水などの被害が発生した。この高潮に備え、根室市は海岸付近の1046世帯(2033人)に対して、「避難準備・高齢者避難開始」を発令した。

北海道東部地域は、過去にもしばしば温帯低気圧による高潮に見舞われてきた。被害が比較的大きかったのは2014(平成26)年12月の事例で、潮位は根室で181センチメートルに達し、住家浸水45棟、非住家浸水135件、漁船流失・破損12隻などの被害があった。2月の事例としては、1994(平成6)年や1991(平成3)年に発生したものが記録されており、潮位は2021年の事例と同程度であった。

日本を襲った史上最強の温帯低気圧

高潮は気圧の低い時に起こる。気圧が下がると、海面が持ち上がるからだ。これを、「吸い上げ効果」という。その大きさは、1ヘクトパスカルにつき約1センチメートルである。

冒頭に述べた2021年2月の温帯低気圧に伴って、根室では947.8ヘクトバスカルという最低海面気圧が観測された。これは温帯低気圧によるものとしては、我が国での最低記録を更新するものであった。つまり、日本を襲った史上最強の温帯低気圧ということになる。

表1に、日本国内で温帯低気圧(台風が関与したものを除く)に伴って観測された960ヘクトパスカル以下の日最低海面気圧を、値の低い順に並べた。該当する観測値は全部で19個あったが、すべて北海道の地点であった。断っておくが、北海道に限定してこの表を作成したのではない。北海道以外では、温帯低気圧に伴って、960ヘクトパスカル以下の最低海面気圧は観測されたことがないのである。

画像を拡大 表1. 温帯低気圧による960hPa以下の日最低海面気圧のランキング(台風が関与した温帯低気圧の事例を除く)。2021年2月16日に記録された値のカラムに着色している

2021年2月に記録を更新する前の最低記録も根室で観測されていて、それは1994年2月22日に記録した948.7ヘクトパスカルである。この時も根室半島で高潮による被害があったことは、既に述べた。高潮の被害が比較的大きかった2014年12月17日の事例は、表1では歴代3位の記録になっている。

2021年2月16日には、第1位の根室だけでなく、釧路(第6位)、網走(第7位)、紋別(第14位)、雄武(第15位)、北見枝幸(第18位)でも、960ヘクトパスカル以下の日最低海面気圧が記録された。表1では、それらを着色して示した。網走で観測された956.7ヘクトパスカルは、本連載(2020年5月)で解説した「ゴ・ヒト・マル」のメイストーム(1954年5月10日)の際に観測された最低気圧の極値957.6ヘクトパスカル(第9位)を67年ぶりに更新するものとなった。

谷待ち

図1に、2021年2月14日から3日間の各日9時の地上天気図を示す。15日9時の天気図に根室の位置を示す。16日9時の天気図には、低気圧の経路と中心気圧の推移も記入した。日本を襲った史上最強の温帯低気圧は、2月13日21時に沖縄の南東海上で発生した。その12時間後の14日9時の地上天気図では、沖縄の南東海上に1010ヘクトパスカルの低気圧が見られる。低気圧の領域は広く大きいのに、等圧線はまばらで、前線が描かれておらず、不気味な天気図である。この低気圧はその後、北向きに進んだ。この経路も異様である。低気圧は通常、東または北東へ進む。しかし、低気圧があまり動かない場合や、この低気圧のように北向きに進む場合は、必ず、何らかのワケがある。

画像を拡大 図1. 2021年2月14日~16日の地上天気図(各日9時、気象庁の速報天気図を加工)。16日9時の図に6時間ごとの低気圧の中心位置と中心気圧を記入。16日9時の左上に北海道付近の拡大図

14日9時の地上天気図で、華北にある1014ヘクトパスカルの低気圧の存在に気づいた読者は、天気図を深読みするスキルをお持ちの方である。低気圧の強い発達は、単一の低気圧でなく、複数の低気圧がからみ合って現象が展開することが多い。この事例もそうであった。

16日9時の地上天気図には、日本を襲った史上最強の温帯低気圧(赤色表示)だけでなく、華北から黄海を経て日本海へ進んだ低気圧(青色表示)の経路も記入した。各日9時の中心位置を黒枠線付きの大きめの円で示したので、2つの低気圧の位置関係がお分かりいただけると思う。何を隠そう、沖縄の南東海上に発生した低気圧が北向きに進んだのは、華北から黄海に進んでくる低気圧を迎えるためだったのである。まるで、待ち合わせをしていたかのように見えるではないか。両者の距離は次第に縮まり、寄り添って並走を始める。筆者は、沖縄の南東海上に発生した低気圧が見せたような挙動を、「谷待ち」と呼んでいた。1段北側を移動してくる気圧の谷の接近を待ち、本格的な発達のタイミングを見計らっているのである。

移動と発達の経過

華北から東進した低気圧は、2月14日15時に黄海へ進んだが、14日21時には日本海西部に低気圧が現れ、ジャンプしたような形になっている。図1ではその部分を点線で示した。その時刻(14日21時)には、沖縄の南東海上から北上した低気圧は九州の南に達した。これで、両者は南北に並び、以後、並走して発達する構図が整った。

15日9時には、南の低気圧は紀伊半島沖、北の低気圧は日本海中部に進み、どちらも発達中だが、前12時間の中心気圧の降下量は、南の低気圧の方が大きい。このように、2つの低気圧が並走して発達する場合、南の低気圧の方が強く発達することが多い。そして、南の低気圧の方が速く進み、北の低気圧の東側へ回り込みながら、両者は一体となっていく。日本を襲った史上最強の温帯低気圧も、定石どおりの経過をたどった。

16日9時の地上天気図に記入した6時間ごとの中心位置と中心気圧から、低気圧の移動と発達の経過を読み取ることができる。本州の太平洋側を進んだ低気圧について見ると、最も速く移動したのは、紀伊半島沖から関東付近へ進んだ15日9時~15時の6時間で、15日9時の天気図にも表示されているように、スピードは時速85~95キロメートルに達している。これは、温帯低気圧の平均的な移動速度の約2倍の速さである。中心気圧の下がり方を見ると、6時間の気圧降下量が最も大きかったのは、関東付近から三陸沖へ進んだ15日15時~21時の6時間で、18ヘクトパスカル低下した。この移動速度と中心気圧の下がり方の関係も、強く発達する多くの温帯低気圧に共通してみられる特徴で、加速が始まるとともに強い発達が始まり、スピードがピークを過ぎて減速し始めた頃の気圧降下が最も大きく、やがて著しく減速して停滞気味になる直前に中心気圧が最低になる。図1の事例では、中心が北海道東部付近にさしかかった16日朝に、低気圧の勢力が最強となった。

日本海へ進んだ低気圧のその後について述べる。南の低気圧に迎えられ、並走して発達する北の低気圧も、急速に発達していくが、その発達の程度は南の低気圧ほどでない場合が多い。そして、南の低気圧より早いタイミングで発達のピークが過ぎ、減速し、やがて南の低気圧に取り込まれていく。図1においてもその様子が見られる。その意味では、南の低気圧が発達の主役であり、北の低気圧は脇役である。しかし、南の低気圧が強く発達するには北の低気圧の存在が重要であり、北の低気圧がなければ、南の低気圧の発達は少し抑えられたものとなる。

北海道東部付近へ進んだ低気圧のその後についても述べる。16日9時の図の左上に、北海道付近を拡大して示した。込み入っていて分かりづらいかもしれないが、低気圧は減速しながら左へカーブし、オホーツク海へ進んだ。中心気圧は16日6時から12時まで946ヘクトパスカルを示し、この低気圧の生涯の最低気圧を記録した。その後も左へカーブしながらゆっくりと進み、勢力は急速に衰えた。サハリン南部を通過して日本海へ入った後、宗谷海峡を通過してオホーツク海へ戻り、17日にはオホーツク海南部でもう一度ループを描き、18日朝に北方領土の国後島付近を通過し、太平洋に出たところで消滅した。