2018/06/25
安心、それが最大の敵だ
<天才級技術官僚>宮本武之輔について
「君たち学生は工学の知識を吸収しただけでは知識人ではないし、実社会に出ても役に立たない。人間として未熟である。政治学、法律学、経済学、文学、西洋哲学、歴史学、物理学、化学、なんでも貪欲に学ぶのだ。若いうちに学んで鍛えるのだ」「すべて信念は自覚から生まれ、自覚は思索から養われる。思索のない人生は一種の牢獄である」
内務省(国土交通省前身)の技術官僚・宮本武之輔(1892~1941)は、母校・東京帝大土木工学科(河川工学)教授を兼務した。彼が講義の中で語った「ことば」である。博覧強記と現場での経験に裏打ちされた知的刺激に満ちた「ことば」である。彼の群を抜いた知性、見識、行動力、情誼(じょうぎ)の厚さ、そして何よりも民衆を思う気持ちはこうした天才性から生まれた。
武之輔は明治25(1892)年、愛媛県温泉郡與居(ごご)島村(現松山市由良町)の裕福な家庭に生まれた。神童と呼ばれた彼は父親が事業に失敗したため中学校(旧制、以下同じ)への進学を断念せざるを得なくなる。輸送船の見習い船員となって家計を助けた。地元の篤志家宮田兵吉は武之輔の才能を惜しみ、学費や生活費の援助を申し出て、勉学の道に進むよう働きかけた。
勉学の道が開けた武之輔は、東京に出て私立錦城中学校に編入学し、文学書や哲学書などを乱読し小説を書いた。文学青年であった。一時期、作家たらんと決意した。が、家族の反対で挫折した。成績はここでも常にトップクラスで、首席で卒業した。中学時代から書き始めた日記は49歳で急逝するまで続けられる。戦前の知識人とりわけ技術官僚の人生をうかがう上でこれに勝る文献はない。最難関の第一高校に成績優秀なため無試験で入学する。同級生には後年作家として活躍する芥川龍之介、菊池寛、久米正雄らがいた。青年時代の一時期とはいえ、彼が作家を目指し内外の文学書を読破したことは彼の柔軟な発想の基礎を築いた。幅広い知性や想像力を養った。
東京帝大土木工学科に進んだ彼は、日記に記している。「民のための土木技術」。「研究教育だけに没頭する技術者にはなりたくない。現場に立って後世に残る土木事業を手がけたい」。彼の決意は固かった。主任教授広井勇からの影響は多大であった。大正6(1917)年、東京帝大土木工学科を首席で卒業し恩賜の銀時計を授けられて、内務省に入省した。
技術者差別の「壁」打破
内務省入省後、彼は利根川や荒川の河川改修に従事した。帝都東京を洪水から守る一大事業・荒川放水路工事には、荒川下流の水門建設工事の責任者として参加する。内務技師として研鑽の日々である。ここで上司の主任技師青山士と巡り会ったことは武之輔の技術者人生に大きな影響を与えた。武之輔は現場にあってもコンクリート工法の研究を進め、その後の欧米への留学での研究成果もあって昭和3年(1928)に博士号が授与される。
◇
内務省入省以来、彼にはふつふつとして湧き上がる闘志があった。彼は政府部内の「技官冷遇」の「壁」の打破に生涯を捧げたと言っていい。政府首脳部から自重を求められたが、耳を貸さなかった。大正9年(1920)、政府各省の青年技術官僚を集めて「日本工人倶楽部(クラブ)」を発足させるなど、技術者の地位向上、差別の「壁」打破のため進んで先頭に立った。しかしながら、事務系官僚を中核とする政府部内の「壁」は厚かった。
民のふところに飛び込む
昭和2年(1927)、内務省土木局は大事故に震え上がった。信濃川の大河津分水(おおこうづぶんすい)自在堰が陥没し、堰の機能は完全にマヒした。信濃川本川の河水が枯渇した。完成からわずか5年後の非常事態である。田植えの時期である。流域農民は激怒して抗議に立ち上がった。堰の修復工事に投入されたのが36歳の若きエース技師宮本である。彼は土木技術者を「民の幸福を実現する職業」と信じ、土木技術者は「民のふところに飛び込む勇気がなければならない」と自身に言い聞かせた。
彼は悲壮な決意でのぞみ、設計施工をすべて手掛けた。酷寒の真冬も猛暑の真夏も先頭に立って働いた。作業歌を自作して労働者と共に歌った。この間、直属の上司青山士と恩師広井勇の激励を心の支えとした。彼は工事の進み具合を地元紙などを通じて積極広報したのも当時としては異例のことであり、「公共事業は民のためにある」との確固たる信念がうかがえる。
心血を注いで大河津分水補修工事を完成させた後、武之輔は本省に戻り、第一技術課に籍を置き,全国の災害復旧や補助河川改修の指導にあたった。昭和11年(1936)、河川改修等の経験と研究の成果を『治水工学』として発表した.この名著は,治水工学を体系的にまとめた戦前における河川工学の決定版である。昭和13年(1938)、興亜院創設と同時にその技術部の部長となった。中国との戦闘が泥沼化する中、昭和16年(1941)、企画院次長に昇進し、名実ともに最高の技術官僚となった。戦時下の対中国政策立案にあたる最高責任者の一人となった。だが、彼の侵略戦争に加担する苦悩は深かった。そしてついに、彼の人生は運命により断たれる。
日本が無謀な太平洋戦争に突入した直後の昭和16年12月、急性肺炎のため国会内の内務省政府委員室で倒れ、急逝した。文才に秀でた武之輔は49歳という長くはない人生で20冊余りの学術書やエッセイ集を残した。「河川工学」「技術者の道」など名著も少なくない。作家菊池寛は、そのまれにみる文才を「官僚離れしている」と絶賛した。武之輔は「土木工学」以前に英知に基づく心の通った「人間学」を目指したのである。
(参考文献:土木学会図書館文献、拙書「評伝 工人宮本武之輔の生涯」、筑波大学付属図書資料)
(つづく)
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