最終回:BCPに終わりはないのだ!
形だけのBCPにならないために
BCP策定/気候リスク管理アドバイザー、 文筆家
昆 正和
昆 正和
企業のBCP策定/気候リスク対応と対策に関するアドバイス、講演・執筆活動に従事。日本リスクコミュニケーション協会理事。著書に『今のままでは命と会社を守れない! あなたが作る等身大のBCP 』(日刊工業新聞社)、『リーダーのためのレジリエンス11の鉄則』(ディスカヴァー・トゥエンティワン)、『山のリスクセンスを磨く本 遭難の最大の原因はアナタ自身 (ヤマケイ新書)』(山と渓谷社)など全14冊。趣味は登山と読書。・[筆者のnote] https://note.com/b76rmxiicg/・[連絡先] https://ssl.form-mailer.jp/fms/a74afc5f726983 (フォームメーラー)
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■文書にまとめてはみたものの…
今日はヨシオにとって少し緊張気味の日です。この3日間、BCP策定会議で決まったことをひたすら文書としてまとめる作業に没頭していましたが、今日は最終ドラフトを社長と会議メンバーに披露する日だからです。これでOKが出ればBCPはバージョン1.0となります。今回は工場のBCPを完成させた副工場長も同席します。多少のライバル意識もありますが、今BCPが完成して手元にあるのは副工場からのアドバイスがあってこそ。感謝しなければなりません。
「完成しましたね!」と副工場長。「ええ、おかげさまで。これで何とか一段落できそうです」。ヨシオは意識的に明るい顔で返事をしましたが、実は「このBCP、何かが足りないな…」とも感じていたのです。会議は始まりました。ヨシオはあいさつから始めました。
「皆さん、長い間BCP策定会議にご参加いただき、お疲れさまでした。皆さんの経験と知恵を結集したBCPのドラフトを配布させていただきます。これで問題なければひとまず社内のBCPは完成したものとみなし、あとで災害時応援協定のための活動手順を追加する予定です。少しの間、目を通していただき、気づいた点やご不明な点がありましたら、遠慮なくご意見を頂戴したいと思います」。
いくつかコメントが出ました。「なんて立派なBCPなんだ! 申し分ないですよ。ごくろうさま!」「これさえあれば関東直下地震なんて鬼に金棒さ。満足、満足」。「もしかすると、前と同じようにBCPが頓挫するんじゃないかと思っていたけど考えすぎだったなあ、あははは」。ところが、おおむねポジティブな意見が飛びかう中、ちょっと水を差すようなことを言ったのは副工場です。
「完成したあとのことですが、このBCPをどのように運用していくのでしょうか。そのあたりの規定が書かれていないので、ちょっと物足りなく思いました」。
■形だけのBCPにならないために
副工場長は続けます。「書類として保管しておくだけでは実務に生かされないし、時間が経てば記載した情報も古くなる。そのうちこの文書があること自体が忘れ去られてしまって、いざと言うとき何も役に立たないといったことになりはしないかと。その意味で、BCPの運用管理はISOのそれと同じように考えるべきではないかと思うんですよ」。
ヨシオ自身が感じていた「このBCPには何かが足りない」の正体はこれだったんだと気づきました。またしても副工場長におみそれしなければなりません。「なるほど! いやあ、さすがは副工場。BCPが形骸化しないためにも、ISOと同じようなルールを決めておくということですね。例えばどのような工夫が考えられるでしょうか」。
副工場長はドヤ顔20パーセントで答えます。「とくに厳密にISOと同じようにということではありませんが、まず基本的には『日常の点検』があります。いわゆる防災・減災対策の点検ですね。火災なら消火設備の点検、地震なら適切な固定対策がとられているかどうか、などです。
また『BCPの記載内容のメンテナンス』も大事でしょう。BCPは一般の社内文書のように記録をとって残しておくだけという性質のものではありません。いつでも役立つように、情報の鮮度が保たれていなければならないと思います。そして最後に『教育と訓練』でしょうか。工場には外国人従業員も何名かいますし、ラインが稼働中は訓練もままなりません。けっこう気合を入れて従業員に周知させる必要があります。その点、オフィス業務中心の本社では、教育や訓練は割と容易に行えるのではないでしょうか」。
■飽きのこない訓練ってどんな訓練だ?
最後に「訓練」について一本筋を通すにはどうすべきかを、少し掘り下げることになりました。これまでヨシオの会社の防災訓練は不定期で、中長期的には習慣づけられていませんでした。また、従業員の参加率がよろしくない理由として、「多忙」は一理あるからまだしも、中には「単調で退屈」「時間のムダ」と、訓練自体に難色を示す人も少なくなかったのです。BCPと訓練は表裏一体です。訓練の参加者全員が「参加するだけの意義がある」と実感できるような工夫をしなければなりません。このあたり、ヨシオは副工場長の意見も参考にしながら改善のポイントを探りました。
その一つは「社長の意思が反映されていること」。訓練の場に社長が立ち会っていただくことが何よりですが、それを毎回期待することはできません。そこで訓練の意義と参加を呼びかける社長のメッセージを全従業員に配信することにしました。次に訓練の回数は多すぎず少なすぎずとし、同じことをなぞるだけにならないように、発災場所や発生時刻、状況などの想定や条件を変えて変化を持たせることにしました。所要時間は1回15分~長くて30分以内に収まるようなコンパクトな訓練が望ましいところです。
そして、訓練の参加者が次回も参加しようと前向きになれるように、訓練を通じて得られた"気づき"を発表する機会を設けたり、要望をアンケートやレポート形式で提出する方法も検討しました。アンケート等は速やかに集計し、結果を次の訓練に生かすようにします。予想通りにうまく行動できたこと、予期に反してスムースにいかなかったこと、訓練を通じて参加者が気づいた課題や改善点、良かった点や悪かった点などなど。
■災害時協定の机上訓練はどうなった?
今回のBCP策定のそもそもの始まりは、市の危機管理課が提案した「災害時協定の手順を確認するための机上訓練」に、BCP持参で参加してほしいとの依頼があったからでした。したがってこの机上訓練に間に合わせることもヨシオの目標の一つとなっていたのです。
さて本日はその机上訓練の日。S社本社用のBCPは何とか完成し、表紙にはバージョン1.0の文字が見えます。もちろん協定活動のための基本的な内容も織り込み済みです。市役所に出向いたのはヨシオと上司の総務部長。会議室にはすでに各社の代表者がBCPを手元に席についています。市内に事業所を持つ飲料水メーカーや大手小売業者、レンタルテント事業者、そしてヨシオの会社です。
市の危機管理課が用意した訓練シミュレーンはとても基本的なもので、大地震発生の季節と日時、そして被害想定のリストが1枚の紙に示されていました。そして災害発生の翌日から3日間で、市と協定を結んだ各企業がどのように連絡を取り合い、どのように行動するのか、それぞれのBCPをヒントにしながら回答するという手順です。
総じてシミュレーンの結果はベターとは言えないまでも、ある程度の成果を見ることができたのです。”成果”とは順調にうまく答えられたという意味ではありません。むしろ出だしからつまずいたりして、初手から各社各様、そして市の対応方針も含めていくつか改善すべき点が明らかになったのです。例えば連絡手段。市はファックスで各企業に要請することを原則としていましたが、大地震ではファックスは使えません。また、仮に速やかに市から要請を受けたとしても、各社の物資輸送車両がスムースに緊急通行許可証を入手して、被災地の内外を行き来できるのだろうかという疑問も出ました。
いずれにしても、訓練シミュレーションは無事終了。市役所を後にしたヨシオ達はホッと胸をなでおろしました。駅へ向かう道すがら総務部長がぽつりと言いました。「BCPは文書としては完成したが、実際に使えるかどうかという意味では最初の一歩だ。これからが勝負だな」。
(終わり)
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