中澤 渡辺先生、経済と医療の両方に共通する指標について考えは。

渡辺 指標的なものとしては、危機のレベルを共有すること。今のレベルがいくつだからこの指揮命令系統だ、というように。そのレベルの上下によって対応する態勢を柔軟に変える。原子力やサイバー分野では、いろんなリスクや条件を見る際、医療、国民生活、重要インフラなど、影響が及ぶ可能性のある分野ごとに危機レベルを決めておいて、一番上にヒットした分野のレベルに合わせた体制で本部を立てる。主管省庁はその分野の所管省庁が務める。
オール・ハザードの危機管理では、対象分野をマトリックスで決めておき、例えば、このレベルになったら首相が全体を主導し、レベルが下がってきたら担当大臣が率いる、など。危機管理では、あいまいな状態で意思決定をしなくてはいけない。どんなトリガーイベントがあったらその先にいくのか。それぞれの分野でトリガーを引ける権限者が宣言(Declaration)を発し、国はそれに従って態勢を考える。香港やシンガポールでは、例えば台風についてはレベルいくつになると、インフラをここまで止め、学校は止める、と地域全体が事前に決められたルールに連動して行動する。いちいち調整する必要がなく、行動が早い。

渡辺氏

中澤 河本先生、これらのフレームワークの中に、リスクコミュニケーションをどう落とし込めばいいのか。

河本 リスクコミュニケーションは全てのレベルでやらなければいけない。リスクマネジメントをやっている全てのプロセスにおいて、リスクコミュニケーションが蔦つたのように回っていきながら、これらのプロセスが動いていく。一挙手一投足にコミュニケーションが必要だ。

濱田 自衛隊的な思考過程では、行動方針の列挙と分析があり、「何が一番重要なのか」という評価が常に行われている。まずそこを決め、共有する。戦場の霧は常にある。分からないことだらけの中で決心をする。評価はフェーズごとに変わる。常に状況判断を行っていく。

濱田氏

河本 何をどうすれば正解かなんて誰にも分からない。その状況の中で、今、政府の譲れない線は何なのか。そのためにこういうことをやると決心する、あるいは決心しないということを説明しなければならない。何が正解か分からない中でリーダーを信頼して従っていこうと思えること。そこが大事。

秋冨 アメリカの国務省を訪れた時、危機管理を担当するセクションとして「広報」に案内された。彼らはかなりのマンパワーを広報のためだけに充てている。なぜかというと、大統領のツイッターや長官、現場の発言など、どうやったら国民に伝わるのか、安心につながるのかを常に考えている。外交に対しても、国内に対しても、国家戦略として管理している。

河本 今の政府にはリスクコミュニケーションの機能がない。それを作らなければならない。

(続く)

本記事は、BCPリーダーズ5月号に掲載した内容を連載で紹介していきます。
https://bcp.official.ec/items/28726465

パネリスト

日本大学危機管理学部教授 河本志朗 氏:1976年同志社大学経済学部卒業後、山口県警察官拝命。 1991年から外務省出向、1994年から警察庁警備局勤務を経て、1997年から公益財団法人公共政策調査会第二研究室長として、国際テロリズム、テロ対策、危機管理などを研究。 2015年4月から日本大学総合科学研究所教授
名古屋工業大学教授 渡辺研司 氏:1986年京都大学卒業後、富士銀行(現みずほ銀行)入行。プライスウォーターハウス・クーパースを経て2003年より長岡技
術科学大学助教授、2010 年より現職。内閣官房、内閣府、経済産業省、国土交通省他の専門委員会委員、ISO/TC292(セキュリティ&レジリエンス)エキスパートなどを務める
防衛医科大学校准教授 秋冨慎司 氏:2003年千里救命急センターチーフレジデント。 2006年済生会滋賀県救命救急センター医長。 その後、東京大学救急部集中治療部、岩手医科大学附属病院を経て2015年より現職。 福知山線脱線事故、岩手宮城内陸地震、東日本大震災など数多くの災害現場で医療活動の陣頭指揮を執った
日本政策投資銀行サステナビリティ企画部 BCM格付主幹 兼経営企画部 蛭間芳樹 氏:2009年東京大学大学院工学系研究科社会基盤学卒業(修士)、同年株式会社日本政策投資銀行入行。専門は社会基盤学と金融とサッカー。公益財団法人日本ユースリーダー協会若者力大賞2012受賞、世界経済フォーラム(ダボス会議)ヤング・グローバル・リーダー2015選出、内閣府「事業継続ガイドライン第3版」委員、国交省「広域バックアップ専門部会」委員など内外の政府関係、民間、大学の公職多
数株式会社日本防災デザインCTO 熊丸由布治 氏:1980年在日米陸軍消防署に入隊、2006年日本人初の在日米陸軍消防本部統合消防次長に就任。3・11では米
軍が展開した「トモダチ作戦」で後方支援業務を担当。原子力総合防災訓練外部評価員、国際医療福祉大学大学院非常勤講師、(一社)ふくしま総合災害対応訓練機構プログラム運営開発委員長等の役職を歴任。著作に「311以後の日本の危機管理を問う」、オクラホマ州立大学国際消防訓練協会出版部発行「消防業務エッセンシャルズ第6改訂版」、「危険物・テロ災害初動対応ガイドブック」
重松製作所社長付主任研究員 兼営業担当専務付主任部員濱田昌彦 氏:元陸上自衛隊化学学校副校長、陸将補。昭和31年、山口県生まれ。陸自入隊後、陸上幕僚監部化学室長、オランダ防衛駐在官などを歴任。約30年、化学科職種で化学兵器防護や放射線防護分野に従事。オランダ防衛駐在官時代には化学兵器禁止機関(OPCW)日本代表団長代行を務めた。退官後は重松製作所で主任研究員に就く。著書に『最大の脅威 CBRN(シーバーン)
に備えよ!』(イカロス出版)