東北の脅威・ヤマセ風

江戸期以降、東日本、中でも東北地方では、冷害とそれに続いて起こる不作が農民にとって重大問題であった。東北地方では、雨年には北東の方から吹いてくる冷たいヤマセ風が雨を伴ってきてうすら寒くなり、雨模様になる。盛夏になっても、ウシトラの風が強く、沖合から吹き続ける年には冷夏となり不作となる。三陸地方では、「飢饉は海より来たる」と言い伝えられていた。不作や凶作の年に最も減収がひどいのは、宮城県・岩手県・青森県の海からの風が吹くつける太平洋側の地帯で、同じ緯度でも秋田県側の被害は軽微である。

「本間様には及びもないが、せめてなりたや殿様に」との俗謡があるのは、山形県酒田市の豪農本間家のことを言ったもので、冷夏の少ない秋田県・山形県には豪農が成長した。

不作や凶作になる原因を気象異常と言い、旱魃・冷害の他、洪水・暴風雨がある。しかし洪水・暴風雨は比較的範囲が狭く、全国的な被害となることは少ない。風災害が不作の原因になることはあっても、全国的な飢饉に発展することはない。北陸から東北・北海道にかけてはいわゆる雪国で、豪雪地帯も少なくないが、稲の取入れは雪が降り始める前に終わってしまうから大きな問題を引き起こさない。ただし雪が例年より早くやってくると、収穫に支障をきたす。

飢饉を強いる原因のもう一つに戦乱がある。戦国時代に相次いだ内乱では、農民が田畑を荒らされ、耕作の機会を失いことが多く、さらに他国(他領)の兵士によって刈田されたりして生活のすべてを奪われる惨憺たる目に合うこともあった(例を過去に求めなくても、太平洋戦争敗戦直後の日本国民は餓死線上をさまよったのである)。