被災した益城町役場。職員の多くはプレハブの臨時庁舎で業務を続けている


Q. 行政はどうでしょう?

全国の地方自治体のどこでも、危機管理・防災の担当部署の職員が災害対応に精通したプロ集団とは言えない状態にある。公務員の宿命である人事異動によって3~5年で配置換えがあるため、業務の要領を把握して行動規範が理解できたころに次の職場に異動してしまう。災害対応のプロが不足する中で災害が起き、災害対応の経験がない他の自治体の職員が現地に支援に入っている状況では、当然、混乱が生じる。罹災証明の手伝いをしてくれと言っても政府のガイドライン以外は知らないので、現地で初めて手間がかかることに気づく。発行するのに身分証明がいるのか、どの程度の時間がかかるか…、そのようなことは地域防災計画には書かれていないし、当然、次々に生じる問題点やその解決方法もマニュアルに書かれているはずもなく、職員は場当たり的に対応していくしかない。

もう1つは、地方自治体の日常業務は比例・公平・平等が当然であり、各部署がそれぞれ職責を全うしている。災害時にその縦軸の組織が寸断されたとき、直ちに横断的な連携体制に切り替えることになっていても、自分の所属する部署にとって必要な情報をどこの部署が持っているのか、自分の部署が持っている情報がどこの部署に役立つのかといった判断ができる職員はごくわずかだ。特に4月の新年度早々ではとても無理。熊本地震はその典型だったと言えるだろう。

実際、現場では罹災証明を求める被災者が朝から列になって並んで、夕方になると「今日は時間切れ」と言い渡される。当然、小さな自治体で5人しか職員がいなかったら、対応には限界がある。県外の遠くから被災者が来ていたら帰れと言えるだろうか? 泊まるところさえも用意できない。こうして問題が解決されぬまま山積みされていくのが災害現場だ。
 

Q. 伊永さんは、阪神・淡路大震災で西宮市を支援されたと聞きましたが、どのように市の業務をサポートされたのでしょう?

行政をサポートしたと言えば誤解を招くが、行政に楽をさせたわけではなく、行政が機能してくれなければ復旧が遅れるため、行政には罹災証明の発行や仮設住宅の用地探しなど行政にしかできないことに専念をしてもらえるよう、他の雑務をすべて引き受けた。当時、西宮でボランティア活動を行っていた13の団体で「西宮ボランティアネットワーク」を立ち上げ、そこが中心になり行政を支援した。当時マスコミからは、「行政サポート隊」とも呼ばれた。

例えば物資の仕分けはもちろんだが、電話の交換台もやった。市役所には本当に行政の支援が必要な電話だけがくるわけではなく、猫が屋根裏に住み着いたとか、水が出ない、隣の家がうるさいとか、さまざまな相談が入ってくる。こうした相談の中から、本当に必要な情報を行政に届けられるよう職員と市民の間に入り、職員が対応する必要がない相談に対しては、ボランティアスタッフが現地に行って話を聞いてあげるなどの対応をした。
 

Q. 職員がこうした仕事をボランティアに任せてくれるのでしょうか。何か工夫はされたのですか?

当時の市長が記者会見で「被災者からの直接窓口は西宮ボランティアネットワークに任せる」と発表してくれたことが大きかった。避難所の運営や救援物資の配布担当に一人の職員が残るだけで、現場の仕事をボランティアネットワークに任せてくれた。災害時は行政側のトップがしっかりとリーダーシップを示してくれないと、職員も市民も不安や疑心悪鬼が残り、動けなくなる。西宮では、NECがボランティアネットワークに対し、避難所との連絡用に何十台ものファックスを提供してくれたが、これも市長が任せると発表してくれたおかげだ。