権威づけに利用された吉田松陰

出口:伊藤博文は大久保利通、山縣有朋は西郷隆盛の威光を背負ってリーダーになったわけですが、さらに彼らは長州人として吉田松陰の威光を最大限に利用したといわれています。

半藤:はい。私に言わせれば吉田松陰はむしろ危険な人物にすぎないんですがね。

出口:吉田松陰は早く死んでいますしね。

半藤:伊藤、山縣は箔を着けるために、自分たちは松下村塾の門下生であると強調しました。ほかの松下村塾出身者の優秀な人たちは、蛤御門の戦いあたりでみんな死んでいますからね。(中略)。

出口:優秀な人たちはもう死んでしまっていて、伊藤と山縣ぐらいしか残っていなかった。そう意味では売れ残り感のある人たちだともいってもいいんでしょうか(笑)。

半藤:吉田松陰にいわせると、山縣は「丸太ん棒」だそうです。その何の役にも立たない「丸太ん棒」が残っちゃったんですよ(笑)。吉田松陰そのものも大した人物ではないが、伊藤と山縣はその門下生の中でも大したことないんです。

出口:それなのに、権威付けのために吉田松陰をフレームアップしたというわけですね。

半藤:そうだと思いますね。それまで大して注目されていなかったのに、彼らが「維新の原動力になったのは吉田松陰の教えだ」と言い始めた。

(引用者・高崎:半藤氏は対談時88歳だという。同書の「あとがき」で氏は苦言を呈す。「それにつけても、いまこの国はよき人材が少なすぎるのではないか、ということへの憂えがいっそう強まりました。若い人たちに積極的に本を読んで日本と世界のことを勉強しようという意欲があまりないのではないか。・・・」)

謝辞:「明治維新とは何だったのかー世界史から考える」(半藤一利・出口治明対談、祥伝社)から引用させていただいた。心から感謝いたしたい。

(つづく)