何故ペリーは来たか?

出口:半藤先生は、マシュー・ペリーがなぜアメリカ艦隊を率いて日本に来たとお考えですか。

半藤:いきなり一言では答えるわけにはいかない難しい問題ですね(笑)。あのときペリーの東インド艦隊は、まず沖縄にいきました。さらに小笠原諸島に行ってから、浦賀沖に来たんですね。何しに来たかというと、これについてはアメリカ合衆国のフィルモア大統領からペリーへの命令書があります。ちょっとそれを読み上げてみましょう。
「我が政府はこの遠征によって我が国のためならず排他的な商業上の利益を獲得しようと求めるものではない。この遠征によって我が国が収得すべき利益は、やがて文明社会全般が享受すべきものである。艦隊司令長官は全兵力を率いて日本に赴き、もっとも適当と思える地に寄港し、大統領から託された親書を伝えるよう命令する」
この命令書をそのまま信じれば、アメリカは先ずアジア諸国を植民地化していた西洋列強の間に割り込んで日本を植民地化しようとしたのではなく、全世界のためになるような交易を始めようとした。そう受け取れるんですね。

出口:率直に読めば、そうですよね。

半藤:はい。しかし当時、アメリカは太平洋の通商で一歩も二歩も遅れをとっていました。すでにイギリス、フランス、オランダなどが航路を開拓していたので、アメリカに残っていたのは日本ぐらいしかなかったんですね。そこで日本を、蒸気船の燃料である石炭の補給地にしたかった。また当時は捕鯨が盛んでしたから、捕鯨船の寄港地も必要でした。燃料や食糧の補給に加えて、怪我や病気をした乗組員を保護する場所が必要だったんです。それが2つ目の理由。もうひとつは、アジア市場競争にアメリカも乗り出すにあたって、シ―パワーを身につけるために、日本列島に基地を置きたかった。私が調べた範囲では、以上の3つがペリーを日本に送り込んだ理由です。しかし一番の目的は3番目のシ―パワーの獲得です。大統領の命令書を少し裏返すと、そういうふうに読めるんじゃないかと思います。
それで、もし日本の開港が不成功に終わった場合は、琉球列島を征服してアメリカの領土にするつもりだったようですね。
(中略)

出口:ペリーが連れてきたのは、当時の最新鋭艦ですよね。

半藤:そうです。4隻のうち、サスケハナ号とミシシッピ号は、最新鋭艦の中でもトップクラスの蒸気外輪フリゲートでした。

出口:昭和の日本でいえば、戦艦大和と武蔵を一緒に連れて来たようなものでしょう。なぜアメリカ海軍の中でも一番強力な船を連れてきたかといえば、それだけアメリカの国益にとって重要な任務だったからです。もちろん国書には捕鯨のことも書かれていましたが、そのウエイトは小さかった。一番の大きな目的は、太平洋航路の開拓ですよね。

半藤:しかし、よその文明国にほとんどの寄港地をとられていたので、日本がポコンと浮かび上がったわけです。

(中略)

半藤:アメリカには日本に港を開かせて、そこをアメリカの拠点とするという明確な目的がありました。だから強硬なんです。

(中略)

半藤:シ―パワーというと武力だけのように解釈されることが多いのですが、実は通商がシ―パワーの基本なんです。通商をしっかりやるために、それを守るための武力が必要になる。そういうシ―パワーの争奪戦だと考えないといけないですね。

出口:要するに、根本は商売の話だと僕は思うんです。