幕末から維新、武器商人の暴利

出口:(幕末の)薩英戦争や下関戦争は、幕府も朝廷に引きずられて形式上攘夷の方針を出していたとはいえ、実質的には薩長の過激派が勝手にやってしまったことですよね。その賠償に支払で幕府の財政は大変なことになりましたが、これら戦争をやった結果、薩長の若手は「尊皇攘夷はアカンな」と目が覚めたわけです。その意味では、日本にはプラスになりましたよね。

半藤:薩英戦争にしろ下関戦争にしろ、コテンパンにやられてしまって、「尊皇攘夷」というスローガンを掲げていたはずなのに、それがいつの間にか「尊皇倒幕」に変わってしまいました。その契機になったという意味では、のちに討幕を果たした西軍(薩長を中核とする新政府軍)の連中にとっては良い教訓材料でしたね。

出口:あの両戦争を通じて、薩長もやはり(開明派老中)阿部正弘の「開国・富国・強兵」路線しかないと思い知った。

半藤:薩長の上層部も、頭のいい連中は、最初から分かっていたと思いますけどね。本音は「倒幕」だったのに、方便として「攘夷」を掲げていただけですから。

出口:とはいえ、本気で攘夷を望んでいた藩士たちもいたので、実際に戦ってみて「攘夷は無理」と身体で確認出来たのは成果として挙げていいでしょう。なにしろ長州などは4か国艦隊にボコボコやられてしまったわけですから。

半藤:はい。やってみたら思ったとおりだった(笑)。攘夷なんてできない。

出口:しかも賠償金は結局幕府が払ってくれたんですから、倒幕を考えていた薩長にとっては、結果論ではありますが、願ったり叶ったりといった感じがあります。一方の幕府は踏んだり蹴ったりで可哀想ですよね。

半藤:本当にそうですよ(笑)。