戊辰戦争で使われた銃(出典:Wikipedia)

膨大な鉄砲輸入

出口:そうやって幕府が疲弊する一方で、幕末から明治維新にかけて戊辰戦争では、武器商人が相当な金を儲けました。

半藤:私は、慶応元年(1865)から明治2年(1869)まで5年分の長崎での小銃の輸入量を調べたことがあるんですよ。それによると、
慶応元年 2万5850丁(16万ドル)
慶応2 年 2万1620丁(27万ドル)
慶応3 年 6万5367丁(98万ドル)
明治元年 3万6511丁(62万ドル)
明治4 年 1万9163丁(29万ドル)・・・と、(引用者注:当時の1ドルは今日の数万円か)
誰が買ったかは分からないんですが、バカスカ輸入しているんですね。

出口:すごい量ですね。武器商人は大儲けでしょうね。先日、大倉喜八郎(大倉財閥の祖)の伝記を読んだのですが、戊辰戦争で鉄砲商として財を成していますね。

半藤:いまのは長崎の数字で、途中から開港した横浜での輸入も加わります。そちらも数字をご紹介しましょう。
慶応3 年 10万2330丁(133万ドル)
明治元年 10万5036丁(160万ドル)
明治2 年     5万8813丁(64万ドル)
さらに明治元年から兵庫と大坂(当時)からの輸入も加わって、そちらも何十万ドルもの金額になっています。それぐらいドカドカと小銃が入って来るんですね。英国のトーマス・ブレーク・グラバー(1838~1911)あたりは「日本の近代化に貢献した」などとよくいわれますし、そういう側面もたしかにあったのでしょうが、まあ、当時の武器商人たちは、とんでもない額のお金を日本からひったくっていったわけです。

出口:鉄砲商人にしてみれば、幕府と薩長が喧嘩をしているなら、双方に鉄砲を売って大儲けをしようと考えるのは自然なことですよね。

半藤:もちろん、悪いことではありません。

出口:しかしそれによって大変な内乱が起こり、最終的には幕府は倒れました。