すべての業務を終了したのは夜中1時近く。翌15日は朝7時に再び全社員が会社に集まり、安否が確認できていない顧客に再度電話をかけるとともに、全顧客への訪問を実施した。

翌日未明に発生した本震では、熊本市内でも被害が大きく、自宅が被災した社員も発生した。会社の中も書棚が倒れたり、机や椅子が散乱するなど歩けない状況だったという。それでも、会社には20人ほどが集まり、夜が明けてからの対応を話し合い、朝7時には、再び全社員に集合をかけた。「避難所に行って、会社に来られない人もいましたが、それでも多くの社員が来てくれました」(前田氏)。駐車場で早朝のミーティングを行い、執行部のメンバーから「建築住宅会社は自衛隊や病院と同じように困っている人を助ける立場。被害者意識は捨てよう」と呼びかけた。

本震が起きた16日の朝7時に開催したミーティング。社内に入れないため、駐車場で行われた

再度、全顧客を訪問し、被害状況を確認。震源地である益城町にも100件近い顧客がいたが、倒壊した家屋はなかった。

台風では、瓦が飛ぶ被害が多く発生するが、水道管やガス管などライフラインが破損することは少ない。が、熊本地震では水道管が多く被災した。また、台風では翌日は晴れることが多く、すぐにブルーシートをかけられるが、熊本地震では余震が多く、危険で屋根に上れない状況が長く続いた。

こうした状況に対して、同社ではまず住宅の被害に応じて緊急性を優先順位付けして対応にあたることにした。最優先するのは水道管、ガス管、電気関係などライフラインが確保できない物件への対応。もちろん地域全体で供給が止まっている場合は除き、配管設備が壊れて水が出ないような物件は生活に支障を来すので優先的に直した。職人の数が足りないため、一般社員でも応急措置が行えるよう、水道管の修理に関するレクチャーも受けたという。

2番目の優先順位は屋根や窓など雨風を凌ぐ措置。屋根の被害件数は多いが、余震が多くて屋根に上ってブルーシートをかけることができないため、当初は状況確認にとどめ、余震が落ちついた段階を見はからって、外部の屋根職人にも手伝ってもらい、一気に作業を行った。「人命がかかってるので、そのタイミングにすごく悩みました」と前田氏は振り返る。自社の顧客以外からも修理に関する要請が多く寄せられたため、特別班を編成して対応にあたらせたという。

これまで経験もしたことがないような規模の被害に柔軟に対応できた理由は、日頃から社員一人ひとりが現場での対応力を高めていたためだ。同社では毎年2回、全社員がすべての顧客を手分けして訪問する「定期訪問」を実施している。普段、工具などを持たない社員も講習を受け簡単な不具合などは自分でも直せるようにした上で顧客と1対1で接する。訪問先では、修理やリフォーム、ちょっとした建具の不具合など、様々な相談が寄せられ、社員は内容に応じて、自分でその場で修理すべきか、メーカーや職人に依頼すべきか判断を迫られる。社長室の一戸紀見華氏は「熊本地震の対応についてマニュアルで事前に決めてあったことは、ほんの一部。ほとんどは地震後に状況を判断して行いました。混乱の中でも社員が一丸となって復旧にあたることができたのも、定期訪問で対応力を身に付けていたためだと思います」と語る。

前田氏は熊本地震の対応を経て「普段あまり一緒に働かない人がお客様の復興という同じ仕事に取り組むことでこれまで以上に社員の結束が強まったと思う」と話している。