一級河川鬼怒川(176.7km、利根川水系支川第1位の長さ)の堤防決壊は1949年8月に栃木県内で起きて以来66年ぶりである。関東地方において国が管理する一級河川の堤防決壊は1986年8月の小貝川(111.8km、利根川水系支川第2位の長さ)以来のことだ。小貝川は1981年にも決壊している。首都圏を抱える関東地方の大水害は国内に甚大な被害をもたらす。国土交通省は「河川ごとに設定した目標規模の水害」に対して河川堤防の再構築や管理・監視にあたってきた。今回の大豪雨のため、全国で19河川の堤防決壊、55河川の河川氾濫、145カ所の土砂災害などの被害が発生した。近年にない大水害である。

東日本大震災後、地震や津波は最大規模を想定した対策が進んだが、風水害については進んでいるとは言えない。全国河川の堤防の未整備状態を見ても分かる。地球温暖化が進めば、線状降水帯が頻発したり、台風の勢いが増したりすると考えられる。「スーパー台風」と呼ばれる風速60m超の台風が発生、強い勢いで日本に接近・上陸する恐れも指摘されているのである。

決壊のメカニズム、避難指示の遅れ
堤防からの越流は9月10日午前11時46分に確認された。越流の水深は20㎝に達した。堤防を越えた激流は川裏(陸地側)ののり面をすさまじい勢いで洗掘し20mにわたって堤防が崩れ落ち、午後1時36分には80mに広がる。翌日朝には決壊口は200mにまで広がった。濁流が大地に刻み込んだ落堀(おっぽり:洪水流が削り取った穴)が堤防下に多数出現し激流の凄まじさを見せつけた。破堤当時、利根川合流部から流れがさかのぼるバックウォーター(逆流)による洗掘が原因ではないかと指摘する声もあった。

だが、①今回の洪水では鬼怒川上流での豪雨に伴う流量増-水位上昇が支配的である、
②鬼怒川下流部の河床勾配は1/1500~1/2500程度なので決壊地点では10m近く利根川合流点より河床高が高い、ことから、バックウォーターは決壊地点には影響していないとみられる。 

決壊は正午をやや過ぎた日中であり、テレビのヘリコプターによる現場中継が続いた。陸上自衛隊などの大型ヘリコプターが懸命に救出作戦を展開した。夕暮れが迫る中、自宅などに取り残された被災者が次々に自衛隊員によって救出されていく。なぜ取り残された市民がこんなに多かったのか。気象庁からは「記録的短時間大雨情報」が出され、常総市では非常配備体制に入っていたはずである。 

常総市では堤防が決壊したすぐ東側の3地区(豊田地区、石下地区、三妻地区)で、避難指示が出るのが大幅に遅れ住民が取り残された。9日夜の段階から、国交省関東地方整備局や同下館河川事務所は電話のホットラインを通じて市長らに対し「氾濫危険情報」「浸水想定区域図」を提供し避難指示をするように要請した。また半日前から地元住民からも水位急上昇を伝える情報が市当局に次々と寄せられた。 

だが常総市が避難指示を出したのは決壊後であった。さらなる問題は常総市が市民に避難勧告や避難指示を出したことを伝える「緊急速報メール」を送っていなかったことだ。地元水防団の積極的な動きも見られなかった。水防訓練の成果を示せなかったと言える。 

犠牲者は2人に留まった。が、なお数百人が避難生活を余儀なくされている。常総市は鬼怒川と小貝川という一級河川が東西に流れる地域である。堤防決壊に対する警戒は人一倍あってしかるべきだろう。市民の生命財産を守る立場の市長をはじめ公務にある者の資質を問わざるを得ない。一方で疑問が残る。流域住民は、①洪水ハザードマップを見たことがあるのだろうか、②洪水になった場合、深さ何mの浸水になるのか知っているのだろうか、③濁流の中に孤立した場合の外部への通信手段は確保しているのだろうか、④近所にお年寄りだけの家庭があることを把握しているのだろうか…。