(2)研修ないし教育の教材について

役員研修や社員教育の具体的内容ですが、事故事件型の不祥事予防対策であれば、研修の中心は関連法令・作業基準・規定マニュアル等の知識の確認と技術の向上となるので、関連法令集やマニュアル等が題材となるのですが、倫理違反型の不祥事の予防対策としての役員研修や社員教育にあっては、自社の過去の不祥事事例や同業他社の不祥事事例を題材とするのが効果的です。

ある会社で一旦不祥事が発生すると、社内調査の上、社内調査報告書が作成されます。同報告書に基づいて具体的な再発防止策が策定され、それが実行されてモニタリングされるという過程をたどります。再発防止プログラムのモニタリングは通常半年から1年程度は続くので、この間は、全ての会社構成員はコンプライアンスに対する関心も強く、二度と不祥事を起こさないという意識も高いです。しかし、不祥事発生から2、3年も経つと、次第にかつて会社の存亡がかかった不祥事事件も風化の兆しが見え始めるものです。そして、封印されていた悪しき企業風土が再び顔を出し、それによってコンプライアンス意識が希薄化されていくことすらあるのです。

①自社の過去の社内調査報告書
そこで、不祥事の再発を防ぐためには、役員研修や社員教育の題材として、そうした自社の過去の不祥事を挙げ、改めて不祥事原因たる企業風土や取引慣行、コンプライアンス意識等を見つめ直し、現時点での会社実態と比較することでガバナンス機能の健全性を検証する機会が与えられるべきです。

②懲戒処分例 
そのほかの題材としては、小さな不祥事をなくすという目的からは、社内調査報告書が作成されるような大きな不祥事ではなく、社内告知だけで済んだ懲戒処分事例も題材とするのに適しています。社内告知された当時は、当事者だけではなく、他の多くの会社関係者に不祥事を身近なものとして感得させたでしょうし、処分結果のみならず、不祥事の具体的態様を明らかにして告知された場合であれば、不祥事の抑止効果は一層強く働いたと言えます。しかし、これも年月を経ると風化し、同じような小さな不祥事、例えば業務上横領、セクハラなどは繰り返されるのです。そこで、こうした過去の懲戒処分事例も題材として利用することで、従業員に注意喚起を促すことが可能となります。

③他社の社内調査報告書
自社の社内調査報告書は古いものも多く、現在の経済情勢や職場環境とは根本的に異なっていた時代の不祥事事例であることも多いです。不祥事リスクというものは、常に特定の時代の経済情勢や特定の職場環境・技術環境のもとで存在するもので、経済情勢も職場環境も技術環境も異なる古い不祥事事例では、現状に即さない場合があります。これを補うものとして、比較的新しい不祥事事例について、同業他社のものを拾っていき、研修ないし教育の題材とすることが必要となります。同業他社であれば、経済環境も技術環境もそれほど異ならず、自社において発生してもおかしくない不祥事事例が存するからです。現在では、社内調査報告書はネット上で公開されているものが多いので、題材に事欠くことはありません。

(3)研修ないし教育の具体的手法について

さて、上記のような題材をもとに役員研修や社員教育を実施する際、いかなる方法で行うかが次の関心の的となります。講師が一人で、多数の参加者に向かって一方的に講義をする「講義形式」も一般的ですが、参加者の当事者意識を高める工夫が必要です。そのために、例えば、上記題材を基にした事例を作成し、不祥事進行の各レベルにおける対処方法をディスカッションさせる方式(ディスカッション方式)や、実際に類似不祥事が発生したことを想定して、法務部員、広報部員、社内調査メンバー、役員、記者会見における記者役といった各役割担当を決め、シミュレーションを実施する方式(シミュレーション方式)は臨場感もあって効果があります。

4.その他の平時の備えについて

(1)社内調査関連の社内規程の整備

その他の平時の備えとしては、これまでにも触れてきたように、社内調査を実施するに当たって社内規則上の障害を事前になくしておく必要があるという観点から、次のように社内規程を整備しておくことが必要です。

・社内調査権限を明記する
・役員・従業員の社内調査協力義務を明記する
・電子メールの使用目的の利用禁止規定を置く
・電子メールがモニタリングされていることを明記する
・監視カメラの設置目的や監視カメラでモニタリングされていることを明記する
・業務関連の書類やUSBメモリを外部の会議など業務目的で使用する以外に社外へ持ち出すことの禁止規定を置く
・個人のパソコンやUSBメモリの社内持込み禁止規定を置く
・デスク引出内やロッカー内に私物を保管することの禁止規定を置く


現実に不祥事が発生し、社内調査を行わなければならない事態に陥りますが、いざ調査を実施するに当たってこれを阻むような障害がいくつもあっては、十分な社内調査は実施しえず、不祥事原因の究明もままなりません。その際たる障害となり得るものが、従業員のプライバシー権です。そこで平時から、職場にはプライバシーがないことを社内規程上も明確にしておく必要があります。そのような関心から上記のような規程整備が必要となるのです。

(2)不祥事発生の場合の記者会見に即応できる環境の整備

企業不祥事が発生すると、いずれかの段階で、当該会社は記者会見を実施しなければならないという社会的要請に遭遇することになります。この記者会見が成功するかどうかが会社の命運を決することもあり、極めて重要な場面となります。そして、記者会見で必ず指摘される事項は、次の5点です。

①不祥事発覚までの経緯
②不祥事の原因
③不祥事の危険性及び社会的影響や二次被害の可能性
④過去の類似事案の存否及び内容
⑤再発防止策


この中で、④の過去の類似事案の存否と内容については、平時の段階で整理し、ファイリングされておくべきものであって、不祥事が起こってから行うのでは遅いです。過去の類似不祥事はもちろんのこと、関連クレームの存否及び回数なども平時において危機管理部門が整理しておくべき情報なのです。

5.おわりに

今回を含めこれまで全12回にわたって企業不祥事に焦点を当てて、そのリスクマネジメントについて解説してきました。コンプライアンスやリスクマネジメントというテーマは、ともすると抽象的な議論になりがちですが、このシリーズではできるだけ実践的なノウハウや知識を提供しようとの意図で回を重ねてきました。思えば、東京地検特捜部勤務を最後に検察官を退官して既に18年になろうとしています。検事現職中はもちろんのこと、退官後も企業不祥事の社内調査を通じて、危機管理分野での実務経験を深めてきましたが、企業不祥事という、一種の社会病理現象は、まるで生き物のように時の移り変わりとともに形を変えて市場経済に繰り返し出現するものです。その意味では、科学的な分析や予測がある程度可能であり、不十分ながらも被害の防止が図れる自然災害とは違って、予防の手法も意識も、経済情勢や技術環境等の変化に応じて常に変えていかなければならない企業不祥事のリスクマネジメントは異色であり、ハンドリングが困難です。それゆえ、このシリーズで提供したノウハウも将来変更を余儀なくされるものであるとの前提のうえで、読者の皆様が、本シリーズの解説内容をベースとして、新しいリスクマネジメント手法を開発されることを期待します。

弁護士法人中村国際刑事法律事務所
https://www.t-nakamura-law.com/

(了)