1.電機業界 50年間の回顧
私は昭和 30 年代の後半、都市銀行の企業調査部門で電機業界の業界調査を担当していました。当時、電機業界は重電機・通信機・工業計器・家庭電 器の順に分類され、家庭電器は新興勢力で業界最下 位に位置付けられていましたが、最も成長している分野でした。ソニーは、音響・映像メーカーと位置付けられ電機業界のこれらの分類からは外れていました。私の手元に当時のデータが残っていましたので、50 年前と比較してみました。売り上げは当時と比べ何十倍、中には 100 倍以上にもなっている会 社もありますが、損益はその割に伸びていないどころか、大幅な赤字になっている企業もあります。

パナソニックは、大正7 年(1918 年)創業、当時は松下電器産業といい、その後統合された松下電工、三洋電機なども別会社でした。

シャープは大正元年(1912 年)創業(9月15 日で創業100 周年)、創業者の早川徳次氏の名前を取り、当時は早川電機といいました。早川徳次氏は大正4年(1915 年)にシャ̶プ・ペンシル(早川式繰出鉛筆)を発明、これが現社名の由来です。東芝は明治8年(1975 年)創業、日立製作所は明治43年(1910 年)創業、三菱電機は大正10 年(1921 年)創業、日本電気は明治32 年(1899 年)創業、富士電機製造は大正12 年(1923 年)創業、富士通は昭和10 年(1935 年)創業です。

発電機など電力設備を作るメーカーを重電メーカーと言いますが、概して歴史も古く、技術力も上だとされ、家庭電器メーカーは新興勢力で一格下のメーカーと見られていました。

1962 年(昭和37 年)当時は白黒テレビが主流で、普及率は1962 年44.8 %、1963 年61.1 %、1964 年72.1%と逐次増加していて、家庭電器メーカーは急速に大きくなっていました。家庭電器の製造販売には消費者の好みの把握や販売網の充実などの必要があり、各重電メーカーも家庭電器に参入しましたが、専業メーカーには及ばず、売上のウエイトはなかなか大きくなりませんでした。

重電メーカー、家庭電器メーカーなどの50 年間の売上高の増加を見ますと、パナソニック・日立製作所・東芝・三菱電機が 25 倍から 30 倍であるのに対し、シャープだけが 78 倍とずば抜けて大きいことが分かります。通信機の伸びが大きいことも注目されます。  

一方、家庭電器の 50 年間の動きを見ますと、国内では家庭電器主力の白黒テレビはカラーテレビに置き変わり、さらにブラウン管テレビは液晶などの薄型のテレビに変わり、シャープは液晶を中心に業容を急拡大したわけです。  

白黒テレビの対米輸出は 1960 年代から始まり、 1975 年− 76年には日本製のカラーテレビがアメリカで爆発的に売れました。日本のテレビはアメリカメーカーの製品を駆逐しました。今は、韓国・中国 の家庭電器製品の対米輸出が伸びていると思います。  

昭和 39 年・40 年ころのデータを見ますと、テレ ビの生産高は横ばい、 あるいは3%減などの状況で、 需要の変化は穏やかなものでした。今年 8 月 15 日の日本経済新聞電子版によると、2013 年3月期の 液晶テレビの販売計画をソニーは前期比 21%減、 シャープは 35%減に下方修正すると報じられています。これでは業績の維持はできません。  

同紙の記事には、『長引く内需低迷や欧州債務危機が響くほか、スマートフォン(高機能携帯電話= スマホ)に需要を奪われる傾向も出てきて、新市場を創る「強い製品」づくりが急務だ』と記述されています。わが国の家庭電器メーカーは、家庭電器の 分野での強力な製品を失ってしまった訳です。  

パナソニックは私が勤務していた都市銀行の大事なお取引先でしたから、50 年間の変遷は良く記憶しています。昭和 39 年(1964 年)販売体制立直しのための熱海会談の後、会長になっていた松下 幸之助氏は販売本部長代行になり奔走されました。 その後も、永年販売網の基盤となっていた系列電 器店と 1980 年代に台頭してきた量販店との販売調整、1933 年から実施していた独自の事業部制の改革(2000 年中村会長時代)等々、幾多の困難を乗 り越えてきています。ただ今後はどうなるのか。  

日立製作所は7月 23 日、 「薄型テレビの国内生産を9月までに終了し、自社生産から撤退する」 「今後は、生産そのものは中国などの海外メーカーに外部委託し、技術開発や商品企画は自社で行い、日立ブランドでのテレビ販売は継続する」と発表しました。表でもわかりますように、家庭電器メーカーの惨たんたる状況に対し、過去業績の波はあったものの、重電大手3社がいずれも収益を挙げていることは、重電メーカーでは家庭電器は主力の分野ではな いので、新しい分野を開拓でき、事業内容の変換が できたのだと思います。格上の企業の底力なのだと考えます。  

今回の東日本大震災におけるBCPに関し、ある大手家庭電器メーカーの方から、実践の結果をお聞 きする機会がありました。その方は、我が社は十分 な対応ができたと誇らしげに仰っていました。しかし、その後の同社の業況は悪化の一途です。