校長・嘉納治五郎

嘉納は同校校長を3期23年余りの長きにわたって務めた。明治42年(1909)IOC会長クーベルタン男爵の委嘱により、アジア初のIOC委員に就任した。明治44年(1911)大日本体育協会を設立し、三島弥彦(東大)、金栗四三(東京高師)の両選手を選抜して自ら団長となり、オリンピックの初参加を実現した(1912年のストックホルム大会)。昭和13年(1938)カイロで開催のIOC総会に出席しての帰途、氷川丸船中で肺炎のため急逝した。享年77歳。
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筑波大学は国立大学ならではの「手堅い」伝統と特色を生かしながらも、日本で初めての抜本的な大学改革を行ない、「開かれた大学」「教育と研究の新しい仕組み」「新しい大学自治」を特色とした新構想大学として、旧態依然たる大学の改革に先導的役割を果たした。教育研究の高度化、大学の個性化、大学運営の活性化など、活力に富み、国際競争力のある大学づくりを推進しているという。大学改革の一つに学部制を廃止して学群・学類制を導入したことがあげられる。

「大学概要」によれば、9つの学群は、教育上の目的に応じて組織され、学部段階の学生の教育指導について包括的な責任をもつ組織である。学類は、学群に属し、学生の教育指導について基礎的な責任をもつ組織である。大学院は8つの学群である。その大きな特徴を具体的に記せば、(1)専門分野を異にする教員及び学生との接触・交流を通じて、広い視野を養い、豊かな人間形成に資するよう配慮する。(2)既存の学問の体系に必ずしもとらわれることなく、教育上の観点から将来の発展の基礎を培(つちか)うことができるようにする。いわばクロスオーバーさせた学科なのである。同大学の「顔」の一つともいえる体育専門学群と芸術専門学群には学類はない。旧来の文系・理系といった「壁」を打破しており、既成の概念ではとらえきれない。

生命環境学群を取り上げて見る。同学群は21世紀に入り社会的にも大きな注目を集めている「生命と環境」を共通キーワードとする「生物学類」「生物資源学類」「地球学類」の3学類から構成されている。組織構成員、教育研究分野とも大学院(生命環境科学研究科)とほぼ同一だという。教育目標は問題発見・解決型能力を身につけ豊かな人間性を育むことにより、日本の生命環境科学分野の中心的担い手となる人材、国際的視野に立って活躍できる未来創造型の人材を育成することである。

医学群では医学類に加えて看護学類、医療科学類があり、国家試験を目指して研究や臨床実験に励んでいる。国家試験の合格率は全国でもトップクラスである。国際的に評価された論文も少なくない。

参考文献:筑波大学「IMAGINE THE FUTURE by AERA」(朝日新聞出版)、「筑波大学の40年」、筑波大学附属図書館資料

(つづく)