連載・コラム
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
中小企業向けに低価格「海外危機対策プラン」を開発
企業向けに、海外赴任・出張する社員の安全を守るサービスを提供するアクサ・アシスタンス・ジャパン。同社がその経験を活かし、中小企業向けの低価格帯プランを開発。この4月から提供を始めた。アクサグループが前身の日本団体生命時代から80年以上に亘って培った商工会議所との信頼関係を生かし、120万社の会員事業所に対して、アクサグループの卓越したリスクマネジメントを活かすことで、「年会費1社あたり6万4800円かつ緊急避難時における企業の実費負担なし」というサービスを実現する。昨年7月から新社長を務める鈴木匠氏に開発の想いを聞いた。
2018/06/08
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
<没後55年記念特集>青山士のパナマ運河開削時代~青春の情熱、唯一の日本人土木技術者~その2
パナマ情勢は青山がシアトル滞在中の明治36年(1903)11月5日に急変し、パナマがコロンビアから分離独立を宣言する。翌6日、アメリカ政府はパナマ独立を承認する。アメリカ大統領セオドア・ルーズベルトは、海軍力の増強とにらみあわせて、アメリカによるパナマ地峡での運河開削に強硬であった。大統領ルーズベルトの手法は帝国主義国家に突入するアメリカの「棍棒(こんぼう)外交」である。同月18日アメリカ・パナマ両国政府は、26条からなる運河条約(ジョン・ヘイ=ビュノオ・ヴァリア条約)に調印する。この条約は「パナマ人が調印していない条約」と呼ばれた。これによって、「パナマは、幅10マイル(約16km)の陸地及び水面下の土地の使用及び管理をアメリカに対して永久に譲与する」ことになるのである。1000万ドルの一時金、25万ドルの年金と引き換えに、アメリカはパナマ運河地帯の永久租借権を得ることになった。
2018/04/23
-
-
-
-
<没後55年記念特集>青山士のパナマ運河開削時代~青春の情熱、唯一の日本人土木技術者~その1
「『その頃から、私の気がだんだん変になってきたんですよ』と、先輩(注:青山士〈あおやま・あきら〉)はなつかしげに笑いながらパナマ時代を回顧された。その精神の底には、なんとか全人類のための工事に参加しようという烈しい志が、大学生時代の青山さんの心につねに秘められていたのであろう。全人類の立場で仕事を選び、それを実行しようとする意志、このような人生観を培うことが出来たのは、青山さんが高校・大学時代、毎日曜日に通われた内村鑑三の影響がおそらく至大であろうと思われる(青山は生涯内村の唱えた無教会クリスチャンであった)」
2018/04/16