我々のまわりで起きている情報環境の激変とは(イメージ:写真AC)

相当前から起きている情報環境の激変

情報環境の変化は、筆者の他の論考でも多く語ってきた。その変化は、端的にいうと次の2点にある。

・フローからストックへの変化
・発信(配信)から双方向性通信への変化

この変化は、実は相当前から起きている。「ネット社会」と総称されるさまざまな事案がそれだ。

政治家やマスメディアなどは「ネット社会」の影響を数々論じ、その効果的利活用の必要性を訴えながら、その実、その影響を限定的に抑え込もうとしていたように筆者は感じる。情報という、いわゆる「第四の権力」の既得権益を保持するため、新たな動きを既存環境の影響下に留めようとしていたように見える。そのことに既得権益側が気付いていたか否かは定かでないが、自然現象として起きる抵抗勢力の行動であると論じてよいだろう。

ネット環境の激変は実は相当前から起きていた(イメージ:写真AC)

そうした抵抗により、これまでは、情報環境の変化による影響は、現実社会では限定的に見えていた。政治の世界でも、ネットでの人気が実際の選挙での投票行動とは異なるように、情報環境変化の影響が実社会に及ぶことはわずかであった。

筆者の立場であえて申し上げると、「ネット社会」の情報も、既得権益側が支配し規制していたと言わせていただきたい。しかしここへきて、さまざまな現象が発露している。あたかも、今までせき止めていた堤防が決壊したかのようだ。いったん決壊した堤防が浸水を避けられないのと同様、今までせき止めていたがために、余計に大きなパワーとして押し寄せてきている。

ネットの情報だけに規制をかけるのは正しいのか(イメージ:写真AC)

それゆえ、既得権益側の自己防衛反応も過激化している。ネットの情報を危険と決めつけ、規制が必要と言い出している。はっきり申し上げるが、すべての情報環境において、一定の規制が必要になるケースは想定すべきであろう。しかしそれは、すべての情報環境に公平かつ公正であるべきだ。ネットの情報に限定するのは根本的に間違っていると断言する。

マスメディアには放送法などの規制があるが、ネットは野放しという論をよく耳にする。しかしこれは、根本的な認識違いと断じてよいだろう。詳しくはこのシリーズで語っていきたいが、以前に語った日比谷焼き討ち事件(連載第67回「交渉に『勝った』ことが日本を追い詰めた」)や、いまだ現存する近隣諸国との歴史認識の違いに関する問題などを考えれば、オールドメディアの情報権力による弊害は計り知れなく大きい。