「もしトラ」によって環境問題への取り組みは後退するのか(イメージ:写真AC)

既得権益化する環境問題

今回は環境問題に関して「もしトラ」の影響を考察してみたい。

真っ先に思い出すのはパリ協定である。パリ協定とは、2015年に国連の気候変動枠組み条約締約会議(COP21)で採択され、翌年発行されたもの。温室効果ガス削減に関する世界的な取り組みが示されている。以前にあった京都議定書では先進諸国だけに温室効果削減目標が示されていたが、途上国も含めて対象としたのがパリ協定だ。

環境問題は政治姿勢で異なる見解がある(イメージ:写真AC)

ところが、米国はトランプ大統領時、2017年にパリ協定からの離脱を表明し、2020年11月に正式に離脱した。そしてバイデン大統領に交代した直後、パリ協定への復帰を決定し、通知して、2021年2月に正式に復帰した。いうまでもなくトランプ氏は共和党で保守、バイデン氏は民主党でリベラル。つまり、世界の環境問題は政治的姿勢で異なる見解があることのあらわれなのだ。

本来、環境問題は政治的イデオロギーではなく、科学的事実により語られ、対策を講じるべきものである。その意味で冷静に諸説を見てみると、温室効果ガスによる気候変動は一つの学説に過ぎず、地球規模での長期的なサイクルに過ぎないとの学説など、さまざまな異論も実際に存在する。

実際「100年後には××度上昇」という時間設定は、過去のオイルショックの反省にもとづいて設定されたのでは、と筆者は考えている。以前「化石燃料が30年で枯渇する」という説でオイルショックを招いたが、いまだに化石燃料は枯渇などしていない。ゆえに「100年後には××度上昇」というのは、100年後にはそんな検証は及ばず、追及されない言いっ放しではないだろうか。それでいて、ギリギリ身近に感じる時間設定。科学的立場からは何とも根拠薄弱な結論ありきの無理筋感は否めない。

だからといって、世界的潮流としての脱炭素に背を向けるべきではない。日本でも法的な規制がなされてもいるのは事実である。グローバルで活動する企業であればなおさらだろう。この問題に環境問題として向き合わなければ社会的信頼も得られないのが今の世界だ。

本質的な問題には正面から向き合い、変動し得る要素には柔軟に対応(イメージ:写真AC)

つまり、科学的に一学説であっても、リスクとしてあり得るとの判断で対策をする。ただし、その前提として政治的イデオロギー色が濃く、基準値などの考え方自体、各国綱引きで大きく変動する性格であることは頭の隅に置いておくべきである。本質的な問題には正面から向き合い、変動し得る要素には片足に体重を残した柔軟な考え方が必要だと考えている。