赤の点線が長沼地区
「史上最悪の洪水」と言い伝えられている災害がある。寛保2年(1742年)、長野県から新潟県の信濃川をつなぐ千曲川が決壊し、2800人ほどの犠牲者を出した「戌の満水(いぬのまんすい)」と呼ばれる災害である。同年7月27日から降り出した雨は止むことなく8月1日まで降り続き、千曲川とその支流は大洪水となり土砂災害なども引き起こした。ちょうど戌年だったことから「戌の満水」と名付けられた。この災害で最も大きな被害を受けた地区の1つ、長野市の長沼地区が昨年から地区防災計画に取り組みはじめている。  

長沼を襲った災害

災害対策本部が置かれる長沼支所(公民館)でも、戌の満水では3.5mほど浸水した

戌の満水における長沼の被害状況は死者168人、流壊家屋は294戸と記録されている。最高浸水高は5m近くに及び、千曲川からあふれ出た水が、町全体を飲み込んだ。当時の長沼地区の人口がどのくらいだったのか、正確な数字は残っていないが、農村地帯だったことを考えると、地区内の大半の家屋が被災したことが予想される。今では長野県と新潟県をつなぐ国道18号線沿いに宅地開発が進み、地区内には、2500人以上の人々が暮らす。今年3月に開通した北陸新幹線も国道18号に並行して走っている。

昭和16(1941)年にはこの地を震源とする大地震も発生した。近年では、昭和58(1983)年に、台風に伴う大雨で、千曲川にかかる小布施橋の上流左岸で、増水した水が一時的に堤防を越える事態が発生。この時の教訓から、地区では毎年1回は、防災訓練を行うことを決め、土のう積訓練や避難訓練を繰り返し実施してきた。

こうした状況に対し、国は2002年までに堤防の補強工事を実施。しかし、地区内には幅1km近くもある河川の幅が一気に200数十mに縮まる狭さく部があるなど、依然として、豪雨災害などのリスクは高い。