警備・警護の問題点はどこにあったのか、捜査による真相究明の問題点は何か(写真:写真AC)

前回まで、事件発生直後には想像できなかった、ある意味あとからつくられた問題である国葬儀に関する反対運動、政治と宗教の問題から見えてくる危機管理・リスク管理思考を語ってきた。

コラムとしての文章量の限界、その時点での限られた事実関係に加え、文章の拙さにより、意図が正確に伝わったか、十分かつ適切に表現できていたか、自信はなく、はなはだ疑わしいとのご指摘もあるだろう。だが、いったんその視点から離れ、今回からは事件と直接的に関わる警備・警護、捜査による真相解明の問題点について触れることにする。

国葬儀や、政治と宗教に関わる新たな展開が発生した時点、あるいは誤解が生じ疑問が膨らむなど何らかの検証の必要性が発生した場合には、再度検討することとしたい。

個人の職責より組織の問題性を議論

さて、今回の暗殺事件は一体なぜ起きたのだろうか。何が問題なのだろうか。その後の対応に問題はないのだろうか。まずは警備・警護の問題に関して語りたい。

当然のことだが、要人警護は結果がすべてであり、安倍元首相という世界に影響力を有する現役政治家が選挙活動中に暗殺された時点で、警備・警護に問題があったとの指摘は避けられない。

日本の要人警護は甘いといわざるを得ないのか(写真:写真AC)

実際に問題性は種々指摘されている。警護上の問題性の指摘の主たるものは、発砲2発(3発との情報も当時存在した)の間、警護対象である要人を守る行動が一切確認できていないことだろう。テレビドラマなどで映し出されるSPの雄姿は虚構に過ぎないのだろうか。

諸外国の要人警護の現実を少しでも調べれば自明であろう。日本はそれらの国と比較すれば平和で安全ボケしているといっても過言ではなく、要人暗殺というリスクをリアルに想定し備えることができず、訓練もおざなりになっていたといわざるを得ない。

警護に失敗したSPの方、ご家族の方は今後精神的にも大きな荷物を背負わざるを得ないのは気の毒であり、同情の声もあるが、職業としての職責なので避けては通れない。今後の活動で前向きに乗り越えてもらいたい。同時に、心ない個人攻撃は絶対に慎むべきだろう。

この問題を語る時、筆者は個人の職責というより、組織としての問題を指摘し、再発防止策を議論するべきと考える。

確かに現場で警護行動がとれなかったのは担当であるが、リスクが顕在化する臨場感をもって普段の組織活動が行われていたら、あそこまでの失態はなかったのではないだろうか。その点が諸外国との相違点と感じざるを得ないのだ。

警備に関しても、計画自体が前例踏襲に過ぎず、現実の状況に応じたリスク思考での計画になっているとはいえなかっただろう。