安倍元首相の国葬儀への賛否で国内世論が揺れている(写真:写真AC)

国論を2分する国葬儀の実施

安倍元首相が凶弾に倒れて1カ月余りが経過し、国葬儀に反対の世論が形成されつつある。

暗殺事件直後、世界中が弔意を示し故人を惜しんだ。7月14日に岸田首相が早々に国葬儀実施を表明した。それまで不作為を指摘されていた岸田首相に安倍元首相が憑依したのではとまでいわれたスピード決断であり、称賛の声が大きかったと記憶している。

国論が2分されている(写真:写真AC)

しかしその後、反対派の活動が活発化し、地方新聞がLINEでつながる一定のコミュニティー内の読者アンケートにて、一般的統計データとはなり得ないと断りながらも、反対多数を報じた。そして他のメディアもこぞって反対意見を煽り始めた結果、世論調査でも逆転現象に至り、国論が2分されている。

直近では、東京オリンピック・パラリンピックの反対運動と構造が似ている。根強い一部の反対運動家が、コロナという材料を得て、あら探し、レッテル貼りを繰り返し、メディアも煽った。他国のスポーツ大会や国内の高校野球などとの冷静な比較には耳を貸さず、五輪は特別なのかと主張し続けた。しかし大会は開催され、メダルラッシュをメディアが報じ、大会成功後は冷静になり「やってよかった」という声が多数を占めた。

これは、一時の感情的な煽りに世論はかくも脆弱なのかと危機意識を持たざるを得ない現象であり、今回の国葬儀反対も同様に感じる。感情論によって中止に追い込まれたら、将来に禍根を残すことになるのではないかと筆者は懸念する。

冷静に事実関係を整理すれば、安倍元首相の国葬儀実施は閣議決定され、各国に発信されている。すなわち、国際社会の常識で考えれば、中止できる状況ではない。国葬儀実施に対して国内が揺れている事実を示すだけで、国際社会の信頼を失墜しかねない状況だ。

反対のための反対による混乱は組織の破壊につながるおそれ(写真:写真AC)

一般企業で考えれば、経営者が決断した事業の方向性を、一般社員が反対活動を活発化させて妨害する行為といってもいいだろう。そのような企業が取引先から信頼されないのは自明だ。「正規手続きで決まったことには従う」のが民主主義の基本ルールであり、国葬儀実施はすでに決まったことである。

筆者は、現時点では国葬儀実施を最大限成功させ、弔問外交やインバウンド経済施策を目指すべきではないかと考える。そのうえで、事後に結果を検証し、賛否を問い、次の民主的選択に委ねるべきではないだろうか。

国論を2分するような運動そのものが、前回引用したレポートの「組織の壊し方」に重なり、日本の国益毀損に向かうことを強く懸念する。