玄倉川水難事故――8月の気象災害――
左カーブの熱帯低気圧がもたらした惨劇

永澤 義嗣
1952年札幌市生まれ。1975年気象大学校卒業。網走地方気象台を皮切りに、札幌管区気象台、気象庁予報部、気象研究所などで勤務。気象庁予報第一班長、札幌管区気象台予報課長、気象庁防災気象官、気象庁主任予報官、旭川地方気象台長、高松地方気象台長などを歴任。2012年気象庁を定年退職。気象予報士(登録番号第296号)。著書に「気象予報と防災―予報官の道」(中公新書2018年)など多数。
2022/08/01
気象予報の観点から見た防災のポイント
永澤 義嗣
1952年札幌市生まれ。1975年気象大学校卒業。網走地方気象台を皮切りに、札幌管区気象台、気象庁予報部、気象研究所などで勤務。気象庁予報第一班長、札幌管区気象台予報課長、気象庁防災気象官、気象庁主任予報官、旭川地方気象台長、高松地方気象台長などを歴任。2012年気象庁を定年退職。気象予報士(登録番号第296号)。著書に「気象予報と防災―予報官の道」(中公新書2018年)など多数。
1999(平成11)年8月13日、神奈川県西部の丹沢山地には、お盆休みとあって、キャンプを楽しもうとする人たちが訪れていた。折から熱帯低気圧の影響で雨が降り始めたにもかかわらず、酒匂(さかわ)川水系の玄倉(くろくら)川では、河原や中州にテントが張られ、バーベキューを楽しむ人たちの姿が見られた。上流にあるダムには洪水調節機能がないので、大雨の際はダムに流れ込んだ水をそのまま放流せざるをえず、川べりでのキャンプは危険である。このため、ダム管理者と警察は、翌14日の朝にかけて、人々に何度も退避を促した。しかし、川が増水するのを見てもかたくなに勧告を拒み続ける人たちがあり、彼らはとうとう避難のタイミングを失って濁流にのまれ、13人が命を落とす結果となった。その一部始終はテレビで実況中継されたから、記憶しておられる方も多いことだろう。
この事故は、大雨時に危険な川の中州でキャンプをし、しかも再三の退避勧告を拒絶するという常軌を逸した行動が原因であり、気象災害とは言えないが、本稿ではこの特異な事故の引き金となった気象状況について述べる。
玄倉川は、丹沢山地の山ふところを南西向きに流れて丹沢湖(人造湖)に注ぐ、延長11.5キロメートルの二級河川である。図1に地形図を示す。
図1から分かるように、玄倉川沿いの渓谷は奥が深く、山々の斜面に降った雨水が谷底の玄倉川に集まるような地形になっている。玄倉川に作られた2つのダム(熊木ダム、玄倉ダム)は、いずれも発電用水を取水するための小規模なもので、河川法上は堰(せき)として分類される。洪水調節の機能はなく、大雨時にはダム決壊を防ぐために放流が行われる。このようなわけだから、普段は発電用の取水により水量の少ない玄倉川も、大雨時にはすさまじい激流となる。
図2~図4に、1999年8月13~15日の、各日午前9時の地上天気図と気象衛星可視画像を示す。この期間、真夏であるにもかかわらず、日本列島は太平洋高気圧の支配下にはなく、本州付近に熱帯低気圧が存在していた。つまり、変則的な気圧配置であった。
通常、真夏には、北太平洋高気圧から吹き出す北東貿易風と、インド洋からの南西モンスーンが日本の南海上でぶつかり合う。そこは、気圧の低い部分が帯状に連なり、熱帯収束帯と呼ばれる。熱帯低気圧や台風は、熱帯収束帯で発生するものが多い。しかし、図2(13日9時)の地上天気図では、大陸東岸から本州付近とその東海上にかけて、気圧の低い部分が東西にのびており、まるで本州付近が熱帯収束帯になったかのような様相を呈している。紀伊半島沖に「TD」と表示されているのは熱帯低気圧である。この時点で、熱帯低気圧は、低圧帯の中を東北東進していた。
図2(13日9時)の気象衛星可視画像を見ると、南西諸島から本州の南海上にかけて、積乱雲のクラスターが西南西~東北東の走向に並んでいる。その東端に近い紀伊半島沖に渦センスが見られ、熱帯低気圧の中心はその付近にある。熱帯じょう乱としては強いものでなく、最大風速が台風の強度(毎秒17.2メートル以上)に達しているとは認められない。関東の南海上に新たな積乱雲のクラスターができ始めているほか、北関東や東北地方にも発達を始めた積乱雲が見られる。
図3(14日9時)の気象衛星可視画像を見ると、関東付近で積乱雲のクラスターが丸みを帯びているが、その南東縁にくびれがあって、勾玉(まがたま)のような形になっている。雲域がこのような形をしている場合、通常、勾玉のくびれの位置に熱帯低気圧の中心がある。この時刻には、東京湾の南を北上しているようだ。この積乱雲のクラスターは、前日より大きく、濃密になっており、じょう乱としてやや強まり、台風の一歩手前くらいの強度になっているように見える。地上天気図では、熱帯低気圧の中心気圧が1000ヘクトパスカルと表示されているが、気象官署で観測された海面気圧値を調べると、この時の実際の中心気圧は998ヘクトパスカルくらいのようだ。
図4(15日9時)では、熱帯低気圧が能登半島付近にまで進んだ。雲域の面積は拡大したが、雲の濃密さが失われ、じょう乱としては衰弱している。中心気圧は1006ヘクトパスカルと解析されている。何より、熱帯じょう乱の特徴である活発な積乱雲が減少し、熱帯じょう乱らしさがかなり失われた。
気象予報の観点から見た防災のポイントの他の記事
おすすめ記事
リスク対策.com編集長が斬る!今週のニュース解説
毎週火曜日(平日のみ)朝9時~、リスク対策.com編集長 中澤幸介と兵庫県立大学教授 木村玲欧氏(心理学・危機管理学)が今週注目のニュースを短く、わかりやすく解説します。
2025/03/25
全社員が「リスクオーナー」リーダーに実践教育
エイブルホールディングス(東京都港区、平田竜史代表取締役社長)は、組織的なリスクマネジメント文化を育むために、土台となる組織風土の構築を進める。全役職員をリスクオーナーに位置づけてリスクマネジメントの自覚を高め、多彩な研修で役職に合致したレベルアップを目指す。
2025/03/18
ソリューションを提示しても経営には響かない
企業を取り巻くデジタルリスクはますます多様化。サイバー攻撃や内部からの情報漏えいのような従来型リスクが進展の様相を見せる一方で、生成 AI のような最新テクノロジーの登場や、国際政治の再編による世界的なパワーバランスの変動への対応が求められている。2025 年のデジタルリスク管理における重要ポイントはどこか。ガートナージャパンでセキュリティーとプライバシー領域の調査、分析を担当する礒田優一氏に聞いた。
2025/03/17
なぜ下請法の勧告が急増しているのか?公取委が注視する金型の無料保管と下請代金の減額
2024年度は下請法の勧告件数が17件と、直近10年で最多を昨年に続き更新している。急増しているのが金型の保管に関する勧告だ。大手ポンプメーカーの荏原製作所、自動車メーカーのトヨタや日産の子会社などへの勧告が相次いだ。また、家電量販店のビックカメラは支払代金の不当な減額で、出版ではKADOKAWAが買いたたきで勧告を受けた。なぜ、下請法による勧告が増えているのか。独占禁止法と下請法に詳しい日比谷総合法律事務所の多田敏明弁護士に聞いた。
2025/03/14
※スパム投稿防止のためコメントは編集部の承認制となっておりますが、いただいたコメントは原則、すべて掲載いたします。
※個人情報は入力しないようご注意ください。
» パスワードをお忘れの方