玄倉川水難事故発生現場付近の河原(神奈川県山北町)(ウィキメディアコモンズ,Σ64撮影

1999(平成11)年8月13日、神奈川県西部の丹沢山地には、お盆休みとあって、キャンプを楽しもうとする人たちが訪れていた。折から熱帯低気圧の影響で雨が降り始めたにもかかわらず、酒匂(さかわ)川水系の玄倉(くろくら)川では、河原や中州にテントが張られ、バーベキューを楽しむ人たちの姿が見られた。上流にあるダムには洪水調節機能がないので、大雨の際はダムに流れ込んだ水をそのまま放流せざるをえず、川べりでのキャンプは危険である。このため、ダム管理者と警察は、翌14日の朝にかけて、人々に何度も退避を促した。しかし、川が増水するのを見てもかたくなに勧告を拒み続ける人たちがあり、彼らはとうとう避難のタイミングを失って濁流にのまれ、13人が命を落とす結果となった。その一部始終はテレビで実況中継されたから、記憶しておられる方も多いことだろう。

この事故は、大雨時に危険な川の中州でキャンプをし、しかも再三の退避勧告を拒絶するという常軌を逸した行動が原因であり、気象災害とは言えないが、本稿ではこの特異な事故の引き金となった気象状況について述べる。

玄倉川

玄倉川は、丹沢山地の山ふところを南西向きに流れて丹沢湖(人造湖)に注ぐ、延長11.5キロメートルの二級河川である。図1に地形図を示す。

画像を拡大 図1. 丹沢山地の地形図(国土地理院電子国土 Web の地図に加筆)

図1から分かるように、玄倉川沿いの渓谷は奥が深く、山々の斜面に降った雨水が谷底の玄倉川に集まるような地形になっている。玄倉川に作られた2つのダム(熊木ダム、玄倉ダム)は、いずれも発電用水を取水するための小規模なもので、河川法上は堰(せき)として分類される。洪水調節の機能はなく、大雨時にはダム決壊を防ぐために放流が行われる。このようなわけだから、普段は発電用の取水により水量の少ない玄倉川も、大雨時にはすさまじい激流となる。

変則的な気圧配置

図2~図4に、1999年8月13~15日の、各日午前9時の地上天気図と気象衛星可視画像を示す。この期間、真夏であるにもかかわらず、日本列島は太平洋高気圧の支配下にはなく、本州付近に熱帯低気圧が存在していた。つまり、変則的な気圧配置であった。

画像を拡大 図2. 1999年8月13日9時の地上天気図と気象衛星可視画像
画像を拡大 図3. 1999年8月14日9時の地上天気図と気象衛星可視画像
画像を拡大 図4. 1999年8月15日9時の地上天気図と気象衛星可視画像

通常、真夏には、北太平洋高気圧から吹き出す北東貿易風と、インド洋からの南西モンスーンが日本の南海上でぶつかり合う。そこは、気圧の低い部分が帯状に連なり、熱帯収束帯と呼ばれる。熱帯低気圧や台風は、熱帯収束帯で発生するものが多い。しかし、図2(13日9時)の地上天気図では、大陸東岸から本州付近とその東海上にかけて、気圧の低い部分が東西にのびており、まるで本州付近が熱帯収束帯になったかのような様相を呈している。紀伊半島沖に「TD」と表示されているのは熱帯低気圧である。この時点で、熱帯低気圧は、低圧帯の中を東北東進していた。

図2(13日9時)の気象衛星可視画像を見ると、南西諸島から本州の南海上にかけて、積乱雲のクラスターが西南西~東北東の走向に並んでいる。その東端に近い紀伊半島沖に渦センスが見られ、熱帯低気圧の中心はその付近にある。熱帯じょう乱としては強いものでなく、最大風速が台風の強度(毎秒17.2メートル以上)に達しているとは認められない。関東の南海上に新たな積乱雲のクラスターができ始めているほか、北関東や東北地方にも発達を始めた積乱雲が見られる。

熱帯低気圧

図3(14日9時)の気象衛星可視画像を見ると、関東付近で積乱雲のクラスターが丸みを帯びているが、その南東縁にくびれがあって、勾玉(まがたま)のような形になっている。雲域がこのような形をしている場合、通常、勾玉のくびれの位置に熱帯低気圧の中心がある。この時刻には、東京湾の南を北上しているようだ。この積乱雲のクラスターは、前日より大きく、濃密になっており、じょう乱としてやや強まり、台風の一歩手前くらいの強度になっているように見える。地上天気図では、熱帯低気圧の中心気圧が1000ヘクトパスカルと表示されているが、気象官署で観測された海面気圧値を調べると、この時の実際の中心気圧は998ヘクトパスカルくらいのようだ。

図4(15日9時)では、熱帯低気圧が能登半島付近にまで進んだ。雲域の面積は拡大したが、雲の濃密さが失われ、じょう乱としては衰弱している。中心気圧は1006ヘクトパスカルと解析されている。何より、熱帯じょう乱の特徴である活発な積乱雲が減少し、熱帯じょう乱らしさがかなり失われた。