2018/06/04
安心、それが最大の敵だ

手賀沼の自然を守る
大正12年(1923)9月、関東大震災が帝都東京と首都圏を襲った。朝日新聞を代表する記者の一人(常務)杉村楚人冠は次男・二郎、三男・時雄を震災で失った。当時51歳。翌13年、楚人冠は手賀沼湖畔に別荘(「白馬城」と命名)を購入していた我孫子町(現・千葉県我孫子市)に家族と共に移住した。白樺派の作家志賀直哉や武者小路実篤らは既に我孫子を去っており、東京高等師範(東京教育大学を経て現筑波大学)校長を務めた講道館創始者嘉納治五郎や東京帝大教授ら文化人や芸術家が別荘を構えていた。楚人冠は生涯を閉じるまで自然豊かな我孫子を愛した。
彼は早朝起床し我孫子駅から上野駅まで常磐線で約1時間の列車通勤をした。新聞社での仕事は投書の整理や部長クラスの会議への出席などで母校・中央大学で新聞学の講義をしている。夕刻には上野駅から列車に乗り帰宅する。休日や余暇にはゴルフを楽しみ、刀剣会に参加した。刀剣会は刀の鑑定会で、楚人冠はサムライの子孫らしく刀剣に興味を持っていたようである。(以下「楚人冠の生涯と白馬城」など我孫子市の資料を参考にする)。
手賀沼の景観を愛した楚人冠は手賀沼の国営干拓計画が具体化してきたことの危機感から、手賀沼湖畔に別荘を構える嘉納治五郎、東京帝大西洋史教授村川堅固、隣村田中村(現・千葉県柏市)の豪農吉田甚左衛門らに呼びかけて保勝会を結成した。手賀沼保勝会の設立趣旨において彼は一度破壊された自然は元の姿に復元させることは難しいと訴え、手賀沼は風光明媚なことから景観保護を行い、その上で我孫子を高級住宅地または美しい観光都市として発展させることを目指した。
干拓を止めさせるために楚人冠らは、手賀沼の清水を活かした産業である淡水魚試験所の誘致を計画し、湖北に設置することに成功した。この淡水魚試験センターは、現在手賀沼にあるフィッシングセンターの前身である。その後、楚人冠らの景観を守る運動が実って、昭和10年(1935)、手賀沼が九十九里、銚子などとともに県立公園に指定された。全国に先駆けて制定された県立公園の指定であったが、「日本の公園の父」である東京帝大教授本多静六を手賀沼に招いた成果でもあった。
我孫子での多彩な活躍
我孫子における才人楚人冠の多彩な活躍ぶりを紹介しよう。「湖畔吟」は楚人冠が企画した「アサヒグラフ」に連載し、後に単行本化した随筆集である。連載が終了するまでの間、一部を収録した「湖畔吟」(昭和3年)を出版し、続いて「続湖畔吟」(昭和7年)、「続々湖畔吟」(昭和10年)を出版している。戦後にも再版されるほど好評を博した。「湖畔吟」は楚人冠の代表作であるとともに、戦前の我孫子を知る上でも貴重な文献である。同書は自然の中で暮らすことを愛する楚人冠が「本当の田園の趣き」を理解した、我孫子で体験した「つぶさに、楽しく、なつかしき村の生活と、村から都に通う身の楽しさの味わい」を書き綴っている。湖畔に住む人々との交流の中から、楚人冠は今まで体験したことのなかった、人と人との触れあいや地域での社会風習に出会うことを楽しんでいた。その楽しさを伝えるべく筆を執ったのである。
同書を読むと、楚人冠邸内の出来事、手賀沼周辺に住む庶民や自然に関すること、通勤での体験など、楚人冠の身の回りの日常的な出来事が主なテーマとなっている。時にはユーモアや辛辣な風刺が飛び出し、随筆として一級品である。我孫子の正史には登場しないが、我孫子の歴史を知るうえで重要な庶民たちが登場する。例えば「半六さん」「佐藤鷹蔵」「青年団長」など出入りの大工や職人などが紹介されている。
我孫子の住民となった楚人冠は、自らの生活を快適にするとともに、よりよい町に発展するために町の友人・知人に声をかけて座談会を開いている。座談会は、楚人冠の日記には「我孫子座談会」と記され、座談会の日時や内容を知ることが出来る。座談会に参加した人々は、嘉納の他、町長、小学校長、駅長、郵便局長など「長」と名の付く地元の有力者だった。会の参加人数は10人前後で、町内外にわたって参加している。誰でも自由に参加できた。場所も特に決まっておらず、嘉納家の別荘、楚人冠の自宅、駅前の老舗旅館本郷屋などで「月を賞しながらビールの杯をあげよう」といった具合で集まる気楽な座談会であった。
「湖畔吟」には、寄席も映画館もない水郷我孫子に何か楽しみの一つも作ろうかと思ったと、湖畔吟社を設立した理由が書かれてある。集まる目的として俳句会を選んだ。楚人冠は手始めに毎日顔を合わせる駅員に声をかけた。湖畔吟社の構成メンバーには、駅員、医師、会社員をはじめ自転車屋、八百屋、茶屋、青年団長など様々な町民が集まった。
楚人冠が本格的にゴルフを始めたのは我孫子へ移ってからである。50歳過ぎた男の熱中ぶりは人並み外れている。当時自宅から最も近かった武蔵野カンツリー倶楽部の六実ゴルフ場に時間が許せば毎日のように鉄道を乗り継いで通い、それが高じてゴルフ場脇に別邸を建てるほどであった。柏にゴルフ場ができると、ゴルフ場通いはさらに増えた。このゴルフ場を造った吉田甚左衛門は、豊四季の約10万坪の土地(現・豊四季台団地)に柏競馬場を開設し、関東の「宝塚」を目指して娯楽産業の育成を図り、町おこしを企てた。柏ゴルフ場は、吉田と親しかった楚人冠のアイディアにより、競馬場にゴルフ場を併設してオープンした。その後、我孫子にもゴルフ場を建設するよう町長・染谷正治に提案している。
楚人冠は太平洋戦争中の昭和19年(1944)出社中に病に倒れ自宅療養を続けた。終戦直後の昭和20年10月3日、我孫子の自宅で多才な生涯を閉じた。享年73歳。邸宅跡地に句碑が建立されている。陶芸家・河村蜻山が制作した陶製の碑で、「筑波見ゆ 冬晴れの 洪(おお)いなる空に」と刻まれている。墓は松戸市の八柱霊園にある。
参考文献:「楚人冠 百年を見据えた名記者 杉村広太郎伝」(小林康達)、我孫子市教育委員会・楚人冠記念館刊行の「解説書 楚人冠の生涯と白馬城」など、筑波大学附属図書館資料。
(つづく)
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