新型コロナ沈静化も、2年近くに及ぶ危機対応で経済・社会が受けた打撃は大きい(写真:写真AC)

新型コロナウイルスが沈静化しているが、2年近くに及ぶ危機対応で経済・社会が負った傷は大きい。失敗に学び次の危機に備えるため、日本政府の新型コロナウイルス対策、パンデミックに対する危機管理は何が問題だったのか、またそれに対する世間の認識は正しかったのか、インフォデミックといわれる状況はなぜ起きたのか。独自の視点で総括してみたい。

まずは、水際対策に対して論考してみる。

水際対策は失敗だったのか

マスメディアでは、危機管理の要諦として、考えられる最大の危機、最悪の状態を想定のうえ、最大の対応を実行し、状況を確認しながら徐々に緩めるのが定石であるとして、政府の水際対策を「後手後手」と批判してきた。

状況に応じた適時対応が、戦力の逐次投入という第二次世界大戦時の日本軍の戦略のなさと同様だと揶揄してもいた。このことは大学教授や政治家も異口同音で指摘し、誰も異を唱えていない。筆者は、この時点で「ダメだ。これでは」と失望したものだ。

この誤った危機管理の考え方では、水際対策は、まずは完全に国を閉じて海外からの流入をゼロにせよということになる。そこまでしなかった日本政府の入国規制、検疫は甘いと叩かれたのだ。

日本の入国規制は甘かった?(写真:写真AC)

しかし、入国規制を最初に厳しくしたとしよう。その場合、いつ緩める判断ができるのだろうか。考えられる最大で最悪の状態は、いま現在でも去っているわけではない。これだけ沈静化していても海外では感染者はまだ多く、変異が突然変異となる強毒化の可能性はゼロではない。永遠に鎖国のまま脱出できなくなる。

これは極論ではない。前述の危機管理の考え方が机上の空論であり、いわゆる「ゼロコロナ」「ゼロリスク」の論理に立脚しているのだ。実際に発生していない将来の可能性を理由とする危機対応は、あり得ないのである。際限がないからだ。

危機管理とはあくまで、現実に発生している危機に対して、これを正確に把握し、適切に過不足なく危機回避に向けて緊急対応することである。では、具体的にはどうだろう。

初期段階で入国制限は本当に可能だったか(写真:写真AC)

感染症の場合はそれが発生している地域の状況、他の地域への感染拡大の状態と同時に、その感染症の特性を正確に把握しなければならないのだが、2020年1月当初、中国武漢での感染が確認されてはいたものの、それほど多数の地域への拡散が確認できていたわけではなく、多数地域に対して国を閉ざす判断が本当に可能であったのだろうか。

確かに過剰反応とも思える水際対策を行った国も存在する。しかし、結果として本当に流入を最後まで防いだ国は筆者の知る限り存在しない。