かつて近代日本の産業を支えてきた鉱山で、今なお有害物質などの流出リスクがあることを知っている人がどれだけいるだろうか? 鉱山では、閉山後も長年にわたり流出する坑廃水に有害物質が含まれることが多く、国内の休廃止鉱山では、こうした水をそのまま河川に排出することがないよう坑廃水処理施設などで適正な処理を行っている。しかし、処理施設が突然の災害や事故で動かなくなる可能性もある。海外では、昨年8月に米コロラド州で環境当局の作業員が鉱山から出た排水を誤って川に放出する事故が発生した。国内の鉱山の危機管理体制はどうなっているのか?

岩手県から委託を受けて独立行政法人石油天然ガス・金属鉱物資源機構(JOGMEC)が運営している旧松尾鉱山(岩手県八幡平市)の坑廃水処理施設を取材した。

松尾鉱山で大規模訓練
坑廃水の流出想定

岩手県の北上川の支流、赤川の上流部にある旧松尾鉱山で昨年10月末、処理施設から坑廃水が流れ出すことを想定した大規模な訓練が行われた。すでに閉山して40年以上も経過している鉱山にどんなリスクがあるというのか─。

旧松尾鉱山はかつて東洋一の硫黄鉱山と呼ばれた歴史を持つ。1914年(大正3年)に松尾鉱業株式会社が設立され、ここから掘り出された硫黄は、黒色火薬、ゴム、タイヤ、合成繊維、医薬品、農薬など幅広い産業分野で利用された。最盛期には従業員5000人、その家族も含めるとおよそ1万5000人もの人々が鉱山周辺で暮らし、当時最新の水洗トイレ、スチーム暖房付きアパート、さらには学校や病院、劇場などを備え、「雲上の楽園」と称された。今でも、これらの街の一部は廃墟と化しながらも当時の面影を残している。

しかし、1958年(昭和33年)頃からは、松尾鉱業の主要な取引先である化学繊維業界の不振を発端として鉱山の経営状態が悪化し、さらに、石油の精製過程で得られる硫黄が市場に出回るようになって決定的な打撃を受け、1971年(昭和46年)に松尾鉱山は採掘を終了し閉山した。

閉山に伴い、坑内から流出する大量の強酸性水は、赤川に流入し、北上川本流を汚染して大きな社会問題になった。強酸性水には有毒物質のヒ素も溶存している。

岩手県は、1971年から関係省庁と協議を開始し対策に着手。1981年に新中和処理施設と貯泥ダムが完成し、翌年4月から岩手県の委託を受けて、独立行政法人石油天然ガス・金属鉱物資源機構(JOGMEC:当時、金属鉱業事業団)が施設の維持管理を行っている。