阪神・淡路大震災で4階建てだった神戸工場・本館西側が受けた被害。背後に本社棟が見える(提供:住友ゴム工業)

「ダンロップ」ブランドでタイヤ製造を手がける住友ゴム工業(兵庫県神戸市、山本悟代表取締役社長)の本社と神戸工場は、兵庫県南部地震で経験のない揺れに襲われた。勤務中だった150人の従業員は全員無事に避難できたが、神戸工場が閉鎖に追い込まれる壊滅的な被害を受けた。30年の節目にあたる今年1月23日、同社は5年ぶりに阪神・淡路大震災の関連社内イベントを開催。次世代に経験と教訓を伝えた。

事例のポイント
❶被災を貴重な経験としてとらえ、社内伝承により風化を防止する

・当時の被害と対応を経験者が話し、伝える機会を設け、社内発信。未来に向けて被災者の体験を動画で残す。

❷リアリティーの高い訓練で実行力を高める
・現実に即した複数の制限がある状況を設定した訓練を実施する。

❸時局変化に機敏に対応する
・台湾有事のような事業への影響が大きい変化を、やり過ごすのではなく対策に動く

30年の節目に2回目の全社講演会

立ち入り禁止となった神戸工場(提供:住友ゴム工業)

1995年1月17日5時46分に発生した兵庫県南部地震で、住友ゴム工業では神戸工場が壊滅的な被害を受けた。当時、150人の従業員が勤務中で、暗闇の中を手探りではうように脱出。全員が無事だったが、工場の様相は一変した。高さ52.3mの大煙突はへし折れ、先端は落下していた。建物では倒壊や1階が潰れるなど、被害が多発。神戸地区に住んでいた1907人の従業員のうち、全壊は212戸、半壊は225戸、一部損壊は494戸。自宅の倒壊により2人が亡くなった。

当時を振りかえる高寄幸久氏

それから30年後の2025年1月23日、同社は神戸本社で経験を語り継ぐ防災イベントを開催した。当時、神戸工場人事部で課長代理を務めていた高寄幸久氏が、工場の閉鎖を決断せざるをえなかった被害の詳細を説明。原付バイクを使った安否確認、建物からの設備搬出、別工場への従業員の異動など、生産再開に向けた活動を自らの経験とともに語った。

当初、使えた連絡手段は本社のロビーにあった公衆電話1台だけ。被害の甚大さから神戸工場の閉鎖に向けて動き出したのは、発災後わずか3日目。閉鎖を公表したのは2月10日で、635人が本社や他の工場などに異動した。従業員の再配置は6カ月で完了。80人が会社都合として退職した。

高寄氏は「大きな代償と引き換えに得た貴重な経験と教訓は、現在のさまざまな活動に生かされています。貴重な経験と教訓を風化させず、さらに進化、発展させ、グローバルに継承していくことが我々の責務だと思います」と締めくくった。

1月23日に開催した防災イベント「過去に学ぶ 住友ゴムの防災のこれから」

続いて震災を経験した5人が体験談を伝えた。このうち4人はインタビューによる動画を配信。その後、同社の防災対策の説明などを行った。イベントの冒頭、当時入社1年目だった人事総務本部総務部長の徳毛裕司氏は「万が一が発生したときに、我々はどう動いたらいいのか。何を事前に準備しないといけないのか。知識を入れてもらいながら、自分の仕事、生活、家庭を思い描きながら、シミュレーションしながら考えてもらうような2時間になれば」と趣旨を説明していた。

阪神・淡路大震災に関する全社的な講演会は2020年に続き2回目の開催。2006年から10年までは被災経験者が国内外の拠点で講演していた。しかし、従業員が体験を話す動画は存在せず、体験談を録画をして残すことは今回が初の試み
だった。

当時、兵庫県西宮市に住み、高校3年生だった総務部の越公美氏は「実際に体験された方から直接お話を聞く機会は今回が最後になるかもしれない」と危機意識を抱いていた。「経験された方の話は熱量が違う。聞いた社員の中に残るエッセンスも違う。これを伝えていかなくてはと考えていました」とイベントの意図を説明する。

撮影動画を利用して、今後も被害と復旧の取り組みを伝えていくという。イベントにはオンラインを含め約260人が参加。会場では当時の被害写真が展示され、防災用品も並べられた。災害用トイレのデモンストレーションも実施された。